東方 鬼人正邪

邪鬼狩り

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 突然に現れた大妖精に、鬼人正邪は面食らった様子だった。
「なんだぁ?」
「お尋ね者の天邪鬼!」
 さながら大講堂の名物教授がするように、大妖精が正邪を指差す。それとも、悪を断罪する裁判官か。少なくとも、彼女の目に迷いはなく、その指先までピンと伸び切っていた。
「ついに追い詰めたわ」
「いや、追い詰められてないし。湖畔を散歩していた平和主義者だぞ」
「平和主義者が下克上を企んだり、反則アイテムを使いに使って実力者たちから逃げるか!」
 ふん、と正邪は堪えた風には見えない。
 霧の湖の冷涼な空気があたりに満ちていて、正邪はまさしくその冷気通りにクールだった。
 しかし、大妖精はそうではないらしい。力強く伸ばした指先はそのままに、声を張り上げてアマノジャクを糾弾し続けている。
「平和ってのはな」
 正邪は言った。
「戦争と戦争の合間の、もう一つの戦争のことを言うんだ。平和主義者ってのも戦争主義者と変わらないのよ。それを勘違いした奴らが、自分は平和が好きだ、自分は安穏に暮らしたいだなんてほざく。馬鹿馬鹿しい。なら、与えられる肉をなぜ食う? 与えられる穀物をなぜ貪る? それらはすべて誰かが勝ち取ってきたものじゃあないか。勝者は敗者から奪い尽くし、平和という名の滋養に変える。かりそめの平和なんてぇものは、それ自体がお笑い草だ。元から慈愛の皮を被っているのが平和ってもんなんだからな。明確な対立関係がある戦争よりタチが悪い……」
「待てい、天邪鬼!」
「質問かね、妖精くん」
「私は妖精だ。難しい話はわからない!」
「正直でよろしい」
 妖精ってのはしょうもない存在だ。下克上をやるにしたって、あまりにも弱すぎる。儚すぎる。頓着がなさすぎる。執念もない。馬鹿だから恨みも覚えていない。
 だから、こういう風に喧嘩を売ってくる。意味もなく。思考もなく。
 違うな。
 思考はある。純粋な思考だ。
「お前、名前はあるのか?」
「ないね。ただ、大きいから大って呼ばれてる」
「ずいぶんと死に近い名前だ。無縁なくせに……ヤるか? ヤるんなら、相手になってやる。ちょうど退屈していたところだ。妖精をぶっ飛ばして遊ぶのも悪くない」
「よし、ついてきて」
「おう」
 大妖精が背中を見せる。
 そこへ、正邪の猛烈な弾幕と平手打ちが襲いかかった。
「ぐっ!」
 倒れ込む大妖精に容赦ない追撃を図る天邪鬼だったが、すんでのところで飛びかかるのをやめた。
「ふふん」
 そこへ、近くの茂みから弾幕が飛んできた。さらに飛び出してくる妖精たち。正邪はそのすべてを回避し、なおかつ接近戦を挑んできた相手に強烈な反撃を与えた。
 さながら払われた羽虫のように、妖精たちは吹き飛ばされて大地に転がる。
「この程度の浅知恵でぇ! 天邪鬼を騙せると思ったか!」
「くっ、完璧な作戦だったのに……!」
 大妖精は悔しそうだ。彼女は正邪を罠にはめようとして、完全に看破されてしまったのだ。
 そして、それくらい見抜けない正邪ではなかった。生まれついての天邪鬼だ。どうすれば他者を出し抜き、どうすれば他者を欺けるか。それを常日頃から考えているような悪逆の輩だ。イタズラ好きの妖精の戦術など、一から十までお見通しというわけである。
「お前らに完璧なんてあるか! あるのは完璧な敗北だけだ」
 中指を立て、舌を出して、正邪はせせら笑った。
「来いよ。遊んでやる」
 歪んだ笑顔というものにも美学があるのなら、今、鬼人正邪はこの幻想郷で最も美しい存在だった。邪悪。悪辣。悪逆。非道。どんな言葉が彼女を飾り立てるとしても、ただそこにあるだけで純粋な敵対存在であることを主張する様は、まさしく永遠のレジスタンスなのだ。
 たとえ世界が二つに分かたれようとも、彼女だけは第三勢力で居続けるだろう。この天邪鬼にとって、孤独は敵に成り得ない。屈従だけが彼女の魂を殺すのだ。ならば、抗い続ける道しかない。
 妖精たちはたじろいだようだった。今まさに標的としていたのであろう天邪鬼を目の前にして、すっかり怖気づいてしまったのだろう。
 彼女たちを守るように、大妖精が立ちはだかった。立ちはだかるといっても、たかだか他の妖精より大きい程度で、正邪よりは背が低い。まるで幼い妹を守る一番のお姉さんといった風情で、正邪はそれを害そうとする悪たれ狼のようですらあった。
 大妖精が一歩近づいた。
 正邪は動かない。
 互いの領域に踏み込む。
 危険な範囲だ。有効な打撃が入る。
「根性あるのな。妖精のくせに」
 弱っちい存在のくせに、という意味合いが込められている。
 それは大妖精にもわかったのだろう。正邪を見る目つきがより厳しくなった。
 乾いた音とともに、大妖精の平手打ちが正邪の頬を捉えた。
 決して強い一撃ではなかった。まさしくか弱い少女が必死に相手を痛がらせようとする、幼稚な試みとしか思えなかった。
「足りないねえ」
 固めた拳が、大妖精の左頬を襲う。
 大妖精は正邪に殴られた勢いもそのままに、地面に膝をついた。
 助け起こそうとした妖精たちに、正邪は無慈悲な前蹴りを加えていく。
「お前らなんかが! 私に喧嘩売ろうなんて! 百年早いんだよ!」
 元来、正邪は弱い者いじめが好きではなかった。彼女は自分より強い存在と競争することに生きがいを見出していた。妖精のような力弱き者たちが徒党を組んでいるだけで、気持ち悪さから歯ぎしりするほどだった。
 反逆とは、個人の才覚で行うものだ。
 絆。
 連帯。
 しゃらくさい。
 特に、妖精のように力も頭もない者たちが集まって、何ができようか。クズをいくら集めてもクズの山ができるだけである。掃除に掛かる時間が伸びるだけだ。決して強者を脅かすには至らない。
 正邪の心は怒りにさえ満ちている。弱い者を見るのは嫌いだった。自分が弱い者であったからであり、また今もそうなりつつあるからだ。
 大妖精が立ち上がる。
 拳を振り上げ、正邪に迫る。
 正邪はそれを冷めた目つきで見定め、素早く後ろ回し蹴りを放つ。大妖精はこれをガードしつつも、力で押されて倒れ込んだ。
 追撃してやる、と正邪は意気込んだ。
 だが、そこへ他の妖精が弾幕を放つことで助けに入った。
「ちっ」
 大きな舌打ちだった。正邪が心から生み出した行動であるゆえか。
 力なき者たちの連帯は、彼女の気分をざわつかせる以外の何物でもなかった。
 だが、それでも妖精の猛攻が大妖精を救ったのも事実である。正邪は大きく距離を取り、情勢を見定めた。分厚い弾幕をまともに浴びれば、さしもの天邪鬼も無傷ではいられない。これが八雲紫のような大妖怪でもあったなら、日光浴でもするような心地で平然としていられたのだろうが。
「羽虫ども! 悔しかったら当ててみな!」
 世界が回転する。いや、「世界を回転する」というべきか。
 鬼人正邪の手にかかれば、あらゆる感覚を逆転させることなど朝飯前。妖精たちは天に落ちる心地で大地にしがみつこうとして、それが異様だと気づいてなお態勢を立て直すことができない。
 サッカーボールキック。さながら地面に落ちた可憐な存在を蹴飛ばすのが当然と言わんばかりの、正邪の過大な暴力が妖精たちを襲った。
 正邪には何の容赦もなく、手心を加える余地すらもなかった。
「私の前に立ったんだ。大悪党の私の前に」
 妖精を踏みにじりながら、正邪は吼える。
「死んで当然の気分で来いや!」
「そいつは小悪党の言い分じゃな」
 ぞわり。
 この時、正邪は間違いなく自分がキルゾーンに踏み込んだことを自覚した。まるで近くしていなかった強大な敵対存在を感じ、くるりと振り向きざまに回し蹴りを放つ。
 しかしながら、それは容易に受け止められた。
 立っていたのは、紋付きを着た二ッ岩マミゾウだ――。
 正邪はたちまちに距離を取らんとしたが、その懐にマミゾウが滑り込んでくる。
「妖精がどうなろうと知ったことじゃあないが」
 天邪鬼のみぞおちに入る、激烈な一撃。
「同じくらい天邪鬼がどうなろうと知ったことじゃあない」
 頭を下げたところに、さらなる追撃の裏拳。
「わかるか、小鬼?」
 とどめとばかりに頭を引っ掴み、強制的に地面に叩きつける。
 この間、正邪はまるで力を吸い取られるようにすべての打撃を受けた。底に潜む妖力の違いを思い知らされる気分だった。
 マミゾウのさらなる追撃はなかった。
「関係ないだろっ……」
 くらくらした意識を平手で張って、正邪はどうにか立ち上がる。
 怒りがあった。
 しかし、喜びもあった。
 彼女が望んでやまない「強者に叩き伏せられる瞬間」がやってきたのだ。それを心のどこかで願っているあたり、屈折したマゾヒストであるという見方もできよう。
「ああ、関係ないとも。儂はただの通りがかり。そこでちらりと見ただけの話。まったくもって、お前さんに含むものがあるわけでもない」
 ゆえにこそ、とマミゾウは続けた。
「簡単に壊せる」
 マミゾウが拳を繰り出す。
 正邪はそれをすんでのところで受け止めた。
「やられてばかりじゃねえぞ!」
 体術という面では、正邪も負けてはいない。一方的にやられたくはなかった。彼女は戦って戦って、その末にある勝利の果実をもぎ取りたいのだ。
「うむ。やられてばかりではないな」
 マミゾウがそう言うのと、大妖精が正邪の腰に組み付いてきたのとはほとんど同時だった。
「なにっ」
「えあぁ!」
 正邪が、浮いた。
 大妖精によって放たれたのはジャーマンスープレックス。体躯で劣る緑髪の妖精が、完全に油断していた天邪鬼に見舞う大技。
 地面に叩きつけられた正邪はしたたかに脳の揺れを感じ、前後が不覚になる。
 それから、大妖精ともども地面に倒れた。
 両者ともに消耗し、容易には起き上がれない。
「ま、こんなもんじゃろ」
 マミゾウが正邪と大妖精を助け起こした。
「さあ、仲直りといこうじゃないか。酒を飲むか? 煙草をやるか?」
 一方の正邪はそんな気分には到底なれない。
「いきなり横からしゃしゃり出て、仲裁人を気取るかよ。私はそんなのゴメンだね。そもそも、襲われたのは私の方なんだ」
「お前さんの日頃の心がけのせいじゃろ」
 知るかよと言ってやりたいところだったが、残念ながら正邪は自覚する悪者なのである。自覚なき悪者であり、なおかつ自分を盲信している馬鹿者であれば言い返すこともできたのだろうが、彼女はまた恥を知る存在でもあった。
 ゆえに、何も言わなかった。
「で、どうして喧嘩を売ったんじゃ?」
 今度は大妖精を向いて、マミゾウは尋ねた。
「いくら悪戯好きの妖精とはいえ、少しばかり無謀が過ぎるのう」
「私たちはいつだって面白いことを求めてるのよ」
 大妖精は答えた。
「そこに通りがかったのが天邪鬼なら、落とし穴にだって落としたくなる」
「正面から喧嘩しとるじゃないか」
「穴があるところまで連れていけなかったの!」
 つまり、大妖精たちの計画によれば、正邪を落とし穴に誘導してケラケラ笑う程度の悪戯を考えていたのだ。それを早々に正邪に喝破され、なし崩し的に喧嘩騒ぎになっていった。
 マミゾウは全くもって大きなため息をついた。わざとらしく行動してみせたのかもしれない。
「襲うのは巫女や魔法使いだけにしておくことじゃな。こいつは礼儀もなければ容赦もない。疲れるだけじゃぞ」
 正邪は袖を引かれるのに嫌気が差し、強引に振りほどいた。休息したことで、だいぶ体力も戻ってきていた。いつまでも狸の親方の説教を聞く気などなかった。
 ふわりと飛び上がり、くるりと振り向く。
「ご高説どうも! じゃあな、暇人ども。今日のところはこれくらいにしておいてやる!」
「また来い! 今度こそボコボコにしてやるわ!」
 大妖精が言い返してきたので、正邪は歪んだ笑みを見せた。
「へん、来てやるもんか。別のところをうろちょろしてやる。おい、狸! いつか今日の礼はしてやる。地蔵でも抱いて震えて眠れ!」
「はいはい。早く逃げることじゃ。でないと、儂の気分が変わるかもしれんぞ?」
 気圧されたわけではない――。
 正邪は自らにそう言い聞かせ、この場からの撤退を始めた。良く言えば、未来に向けて飛び立ったということだ。
 幻想郷は楽園である。
 しかし、この天邪鬼にとって、決して悠然と過ごせる場ではない。
 狩られるのは、正邪か?
 それとも、正邪が狩るのか?
 邪な鬼どもが巣食うこの世界は、今なお異変と異変の間にある奇妙な平和の中で沸騰し続ける。

-東方, 鬼人正邪

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