東方 風見幽香

惑星にて

投稿日:

 幻想郷にはバーがある。人里にある居酒屋などとは違う、西洋から流れてきたような異国風の酒場だ。
 だが、これは人間の里の中にはない。人間たちには及びもつかぬ場所で、ひっそりと営業している。
 今、私はそのカウンターで酒を飲んでいる。いや、酒ではないかもしれない。何にしても、うまい代物に変わりはない。それが美味であるならば、特に内容に拘泥はしない。たとえ誰かの唾液だろうが、奇形植物の樹液だろうが、本質はその味にある。
 こういう話をすると、人間は顔をしかめるのだが、だとするならば「コピ・ルアク」はどうなるのだ?
 あれはジャコウネコの糞の中から、未消化のコーヒー豆を採取するものだ。外の世界では最高級のコーヒーとしてすさまじい高値で売買されている。
 まあ、今は誰かに嫌な顔をされる心配もない。
 私はここまでの思考を口にしていないし、そもそも店に他の客はいない。カウンターの向こうにバーテンダーがいるだけだ。
 彼女はとても魅力的なプロポーションを持っている。女の私から見ても惚れ惚れするくらいだ。
 顔?
 さあね。何しろ彼女は顔を持っていない。
 というか、頭が爆裂して、無残に血を垂れ流している。
 彼女は無残に頭を爆破され、この幻想郷に流れ着いてきた哀れな幽霊だ。
 いや、実体を伴ってさまようあたり、亡霊にカテゴライズする方が適切かもしれない。
 ふらふらと私の畑に迷い込んできたから、一息でかき消してやろうかと思ったが、その服装に興味を覚えた。どうやら元からこういうバーの経営をしていたらしい。チェイスも上手く、「二度」殺すには惜しいと感じた。私は幻想郷に愛着を持っているが、外の世界もそれ相応に好きなのだ。
 そこで、河童を脅して一軒の小さなバーを建てさせた。店名を「惑星」という。彼女がホルストの同名の組曲を気に入っていたから、そういう風にした。それもあって、私は彼女をエルデと呼んでいる。ドイツ語で「地球」を意味する。
「ああ」
 声がした。
 振り向けば、誰もいないと思っていた場所に、古明地さとりがいた。
「だから、ここは惑星で、彼女はエルデだったのね」
「人の心を盗み聞きとは趣味の悪い」
 まったく、こいつは本当に性質が悪い。私の一人きりの時間を奪わないで欲しいものだ。
「元からいつも一人きりのくせに」
「貴方に言われたくないわ」
「そうね。風見鶏は風に尻を向けているのがお似合いよ」
 さとりは私の横に座った。
「エルデ。ギフテッドをちょうだい」
 エルデは無い頭でうなずいてみせた。
 なぜ私にそれがわかるかというと、彼女の筋肉の微細な動きがそれを伝えてくれたからだ。むき出しの傷口の出血は止まっていたが、見た目はどうにもグロテスクではある。
 そう、私の好みだ。
 さとりの前にギフテッドが置かれた。外の世界で「神からの贈り物」を意味する。転じて、それはごく一部の先天性の天才を呼ぶ代名詞ともなった。
 このカクテルには、人間たちが言うところの麻薬がたっぷりと使われているという。私たち妖怪にとってはハーブのようなものだ。
「おいしい」
 エルデの才能は、外の世界から贈られたギフテッドと言えるかもしれない。この酒の美味さと店の雰囲気の調和は、普段あまり自分の居場所から動くことのない私やさとりをして、わざわざ足を運ばせる。
「貴方、いつからいたの?」
「少し前から」
 さとりはとろりとした目で私を見てきた。ギフテッドはこの店でもとびきり強いカクテルだ。さぞ良い気分に浸っていることだろう。
「こいしは無意識的無意識だけど、私は意識的無意識に入り込めるのよ。こいしほど上手くはないけど、誰かに気づかれずに近づくなんてお手の物だわ」
 ろくでもない奴だ。霊夢はこういう手合いをもっと厳しくしつけた方が良い。正体を隠す仙人や人里の貸本屋の娘などと戯れている場合ではないのだ。
 もっとも、古明地さとりには何を言っても通じるまい。彼女は心という心を除きすぎて、不変の境地に達してしまった。これもまた一種の「悟り」なのかもしれないが、本来この言葉が意味したところの悟性からはかけ離れている。
「そうね」
 さとりはまたギフテッドを口に入れ、こくりと飲み干してから続けた。
「私ほど聖白蓮から崇敬されるべき存在はいないかもしれない」
「あんな坊さんに信仰されたい?」
「まさか。でも、仲良くはできると思う」
「それなら、もっと地上に出てくることね。穴倉の中にこもっていては、イザナギだって逃げていく」
「私は地上の命という命を殺す宿命から逃げるつもりもない」
 そうだ。
 誰もが誤解している。
 さとりは全人類、全妖怪、全生命にとっての大敵なのだ。
 彼女を単なる妖怪の一部として扱うのは間違っている。どうして単なる一妖怪が「心」なる不定にして普遍ならざるものを視る?
 そもそも、心は移ろいゆくものである。こうと同定できる要素は何もないのだ。少し前にお腹すいたと思っていても、次の瞬間にはもう眠いと思っているかもしれないし、また次の瞬間にはあいつを殺したいと感じているかもしれない。
 古明地さとりはその心を定めてしまう。変わらざるもの、それは死である。彼女は死の使徒だ。地獄に隷属する女神や閻魔や死神とは違う。死そのものであるとも言える。
「買いかぶりすぎね」
 さとりは言った。
「貴方はいつも思考が飛躍する。長生きしすぎたのよ。それとも、なあに? 風見幽香はイザナギのように私が殺す以上の生命を生み出すの?」
「そうね。私は花という命を次から次へと芽吹かせる」
「そして、地上は花また花の至上の楽園となる」
「命なき地上こそが真の楽園か……」
 花が咲き乱れ、四季を失い、風さえも止まった世界。
 そこには意味もなく、理由もなく、ただ「在る」という現実だけが存在する。
 どうにも気持ち悪い理想郷だった。あまりにも寂しい。あまりにも悲しい。私は騒がしいのが嫌いだけど、花の匂いも感じないような世界に意味はあるのだろうかと考えてしまう。
「エルデ、私にもギフテッドを」
 しょうもない話だ。今という事実からかけ離れた空想、いやまさしく妄想だ。
 禅の思想に「莫妄想」というものがある。妄想するなかれ。単純に訳せばそうなる。ふわりふわりとした想念に身を囚われることなく、しっかりと歩め。
 だが、禅というものは限りなく意地悪で、底なしにどうしようもない。真の妄想とはこの世界とそうでない世界の二つがあり、そのどちらかにしか属せないと考える面にある。人も妖も神さえも、本質的な部分では常に揺れ動いていて、どこかに身を落ち着けることはないのだ。
 さながら水面の月を取ろうとして、結局は溺れて死んだ李白のように、そこにあるものは常にゆらめいて定まることはない。
「ああ……」
 エルデからグラスを差し出された私は、さとりのグラスに軽くくっつけた。
「楽園に乾杯」
「地獄に乾杯」
 さとりも受けた。
 それから、二人で飲んだ。
 いい気分だった。まったくもって身も心も軽くなるようだった。
「心に重さはない」
 さとりめ、私の考えにまで口を出す。
「命に重さはあるかしら?」
「さあ。あると思う?」
「殺す時にはそう感じないね」
 まったく。
 私もさとりも、結局は殺す側だ。これだから面白い。いつかこの娘と組んで、地上を舞台に最大の闘争を仕掛けるのも面白いかもしれない。
 うん、悪くない。
 そう考えると楽しくて仕方なくて、私はギフテッドの入ったグラスをじっと見つめていた。
 とても長く、心地良い沈黙だった。まるでこの惑星の長い午睡のような、静かな贈り物だけがここにはあった。

-東方, 風見幽香

執筆者:

関連記事

発火点

 風見幽香の居宅を博麗霊夢が尋ねてきた。博麗の巫女の表情は険しい。人間に仇なす妖怪に対する姿勢が、形をとって現れたようだった。 「あんた、何したの?」  家に迎え入れた幽香に、霊夢はそう言葉を投げかけ …

おかしな忠臣

 良い夜だった。  こういう夜は昔を思い出す。私が、いや、私たち吸血鬼が夜の王として全世界を支配していたあのころを。 「ねえ、咲夜」  私は忠実なる下僕を呼んだ。  だが、返事がない。私の傍に控えてい …

銀星軍

 銀星軍と呼ばれる存在について、射命丸文は良く思ってはいなかった。彼女たちは確かに優れた存在である。胸に輝く銀色の星の記章は、天狗の中でもエリートとして誉れ高いと主張するにふさわしいかもしれない。   …

邪鬼狩り

 突然に現れた大妖精に、鬼人正邪は面食らった様子だった。 「なんだぁ?」 「お尋ね者の天邪鬼!」  さながら大講堂の名物教授がするように、大妖精が正邪を指差す。それとも、悪を断罪する裁判官か。少なくと …

緊急回避

 私が人里で買い物を済ませた時、小鈴ちゃんが道を歩いてくるのが見えた。昼間に外で会うなんて珍しいことだと思って声をかけようとすると、小鈴ちゃんは私の姿を認めて、それから回れ右して走り出してしまった。 …

2017/07/26

うつくしいひと

2017/07/25

覇者の時代

2017/07/24

消えゆくもの

2017/07/23

暴君

2017/07/17

発火点

 2017年博麗神社例大祭では2種類の新刊が出ます。
 どうぞよろしくお願い致します。