東方 風見幽香

覇者の時代

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 風見幽香と蓬莱山輝夜は並んでマヨヒガの扉を蹴破った。
「おう、ワレェ、コラァ、出すもの出さんかい!」
 輝夜はこういうガラの悪い役柄をやらせたら天下一品である。基本的にダークサイドを自認する幽香でさえ舌を巻くほどだ。
 どうして二人がマヨヒガに乱入したのかというと、難しい話ではない。マヨヒガにある物を持ち帰ったら幸せになれるという。富にも恵まれるという。その話は本当かいなという運びになって、二人して略奪に来たというわけである。これには屋敷に住む橙も驚いたと見えて、中から走って出てきたかと思うと、急ブレーキをかけて一目散に逃げ出していった。
「化け猫だ!」
「追え!」
 幽香と輝夜はたちまち逃げる橙を追いかけた。
「なぜ私を追いかけるアルか!」
 追われる橙はなぜか口調が変になっている。多大なストレスが掛かったことで、彼女の言語活動に深刻な影響が出ているのだろう。
「私って、紫とマブダチなのよね」
 幽香は言った。
「じゃあ、実質は私のものじゃん? 式の式とか完全に共有物と言えるじゃん?」
「言えねーよ!」
 橙のツッコミが冴える。
「紫様を通してから来い!」
「おいおい、私を無視する? 虫なだけに」
「私は猫だ!」
 輝夜の余裕にあふれた言葉に、橙は丁寧にツッコんだ。式の式ともなれば、二人の主のつまらないギャグにも合いの手を入れなければいけないのだろうなあ、と幽香は思った。まあ、私のこの思考自体が笑えないジョークよね、とも思った。
「ねえ、幽香」
「なあに、輝夜」
「猫と虫の違いって知ってる?」
「可愛いか可愛くないか」
「ぶっぶー」
 ぷくっと頬を膨らませる輝夜。
 二人とも橙を追いかけながら、余裕の会話である。それどころか、橙は弾幕まで放ってきているというのに、いとも簡単に避けながら話をしている。ましてや橙もマヨヒガも関係のない話だ。実力差というのはかくも残酷なものである。
「正解は何? 足の本数とか言ったらピープルズエルボー食らわせるわよ」
「スピアーじゃないんだ……」
「むしろ、なぜスピアーだと思った」
「正解はね」
 輝夜がスピードを上げた。たちまち橙に肉薄する。
「猫はっ!」
 その勢いのままに、ぶん殴った。
 そうだ。
 永遠亭の姫君は、力任せに橙に鉄拳を食らわせたのだ。
 勘違いをしてはいけない。彼女は蓬莱人だ。あらゆる能力の頂点に君臨する存在だ。ある種において、幻想郷の雑味とも言える存在だ。その破壊力たるや、最高級の鬼ともタメを張れるレベルである。すなわち幽香とも互角という意味だ。
「一発殴れば大人しくなる。虫だとこうはいかない」
「えげつな」
 幽香は自分を棚に上げて、輝夜をそう評した。
 殴られた方の橙はひどいものだ。思い切り衝撃を受けたと見えて、床と天井で二回ずつバウンドした挙句、激しく廊下を転がって止まった。
「大丈夫、寸止めだから」
 月面伝統派空手、などと輝夜はうそぶいている。
 たとえ寸止めだろうが実際に殴っていようが、橙が結果的に悲惨な目にあったことには変わりない。
 だが、そこは風見幽香である。「そういうこともあるよね」くらいの気持ちで、すでに橙への同情心は薄れている。いや、そもそも同情心は抱いていなかった。弱い者いじめの出番を取られたくらいにしか思っていなかった。その先にあったものが、「まったくひどい目に遭うものね、弱いから」という同情的な心情だったに過ぎない。
 なので、橙が立ち上がり、ぎらりと幽香たちを睨みつけてきた時は、手の先で拍手すらしていたのだった。
「やるやる。さすがは式の式。簡単には屈さない。ほら、見なさいな。猫は一発殴っても元気じゃないの」
「受け専なら一撃で尻尾巻いとけっての。私が馬鹿みたいじゃない」
 輝夜は右手を閉じたり開いたりしている。戦意を惹起させているかのようだ。
「ここにあるものは渡さない」
 橙が言った。
「強欲な奴らに渡すものなんて、髪の毛一本も存在しない!」
 ファイティングポーズだ。さぞや痛かろうに、全身から妖気をみなぎらせている。殴られたせいで唇を切ったのか、出血しているのが痛々しい。
 そうして、幽香はぞくぞくしてくる。戦いの予感が彼女の全存在を震わせる。
「ねえ、お姫様」
「なあに、お花様」
「北風と太陽って知ってる?」
「私が北風だって言うの?」
 輝夜の理解は早かったし、幽香もそれ以上を説明する気はなかった。自分は常に太陽であることを自覚していた。
 ただし、この太陽は決して手を緩めない。灼熱でもって旅人どころか大地まで焼き尽くす。
「橙……」
 幽香は手を差し伸べた。
 全力を、そう、全力の妖気を全身からほとばしらせながら、ゆっくりと告げた。
「私はマヨヒガから何かを持ち出そうなんて思わないわ。負けを認めるか、死ぬか。どちらかを選びなさい。ああ、負けを認めるなら、私がこの暴力的な姫様を下がらせる。この子は意外と強欲だけど、私の言うことなら聞いてくれるの」
「勝手なこと言ってくれるね」
「もしかしたら、貴方と全力で殺り合えるかもしれないし」
 幽香の一言で、輝夜の気配も変わった。
「私と?」
 輝夜は自分を指差し、幽香を指差す。小さな動作だ。しかし、酷薄さを感じさせる何かに満ちている。
「貴方が?」
 戦う、と輝夜は続けた。
 それから、全身で幽香に振り向き、睨みつけた。
「びっくりするくらいつまらないジョークね」
「あら、本気よ?」
「本気なら言葉にせず行動にしてみたらいかがかしら」
 幽香と輝夜は睨み合った。
 それから、互いに異様な笑みを浮かべた。
 本当に異様だった。基本は微笑みなのだ。まるで初めて来てくれた無垢なる来訪者に向けるような、慈愛とでも名付けたくなる笑み。
 しかしながら、放つ気配は必殺であり、邪悪であり、地獄的なのだ。
 幽香にはもちろんその意味がわかっていた。笑みとは優越者に許された絶対に優れた表情である。上を向いた笑みは可憐だが、下を向いた笑みは断罪となる。そして、超越した者たちが浮かべる笑みは物理的な視線の高低を飛び越え、ただそれだけが戦いの気配をまとう。
 今この空間を恐るべき重力で支配しながら、幽香と輝夜は笑っていた。
「ダメ!」
 突然の声に、幽香と輝夜はゆっくりと振り向いた。
 橙が廊下を踏み鳴らしてやってきた。
 彼女は輝夜の頬を叩いた。
 ふぅ、と雰囲気の糸が切れた。
 そこから、橙は廊下の卓上に置いてあった、彼女の手のひらからわずかにはみ出るほどの小さな壺を手にし、輝夜に差し出した。
「今のはさっきのお返しだ。そして、これはお土産だ。喧嘩せずに帰れ」
 毒気を抜かれるとはこのことか。
 二人から見れば矮小に過ぎる化け猫の意外な行動で、もはや完全に一触即発の空気は消え去っていた。
「そう」
 輝夜は壺を受け取り、それを顔の近くでじっと見てから、橙がしたように差し出した。
「ありがたくもらった。で、これは貴方にあげるわ。人様の家に踏み入った挙句に、先に殴ったお詫びよ。……わかる? 返すんじゃない。あげるの」
「粋ねえ」
「こういう時に茶々を入れないの」
 それでも、幽香はふふっと笑った。輝夜の振る舞いが突然に高貴なものに見えてきて、とても先程まで無茶をやっていたおてんばには見えなくなってきたからだ。
 だが、どれもが蓬莱山輝夜だ。私がどの面も風見幽香であるように――。
 幽香はそう思った。
「わかった」
 橙は壺を受け取り、元の場所に戻した。
「邪魔をしたわね」
「本当に、邪魔しちゃった」
 その間に、幽香と輝夜は追いかけてきた道を戻り始める。
「待った!」
 橙の声が掛かった。
 彼女が走ってきた。
 そのままの勢いで、幽香に頭突きを食らわせた。
「これは貴方にびびらされた分!」
 幽香はそれでもビクともしなかったが、怒りは湧いてこなかった。全くもって、目の前の存在が取るに足らない、一方でいずれ大妖怪になるかもしれない子猫だということを、ただただ胸の奥で感じるのみだった。
「ちょっと利子が多すぎる気がするけど、まあいいわ」
 橙の頭を撫でて、幽香は言った。
「釣りの分はいずれ返しましょ」
 さっと手を振り上げて別れを告げ、幽香は歩きだす。その横に、輝夜も続いた。橙はそうした二人の背中を見ていた。いつかその背中に追いつく日が来るのかどうか、それは誰にもわからないのだろう。だが、この猫にはしっかりと彼女たちの背中が刻まれたはずであった。
 王道も覇道も道ならば、邪道も非道も道である。
 彼女たちが歩み、また彼女たちを追いかけるものが歩むのはどの道か。前途はなお永遠の彼方にある。

-東方, 風見幽香

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