東方 風見幽香

消えゆくもの

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 熱帯化したジャングルを駆けていく、一人の少女がいる。彼女はとにかく元気いっぱいで、起伏に富んだ地形を気にしていないかのように走り抜けていく。ハマユウの花が咲き乱れる空間に出た。そこには一軒の家があった。少女は脇目も振らずにその家を目掛けて走っていく。
「ただいま!」
 少女、メディスン・メランコリーの声に応えるようにして、二階から続く階段を降りてきた者がいる。
「おかえり」
 風見幽香である。大妖怪である彼女は、今、メディスンと共同生活を営んでいる。
 ケラケラケラケラと鳥が鳴いている。幽香たちは気にも留めない。
「今日は久しぶりに人間に会ったよ」
 メディスンは言った。
「川魚を捕りに来たみたいだった」
「懲りないものね。……もっとも、懲りないのは人間の美徳でもあるけれど」
「ねえ、幽香。お腹がすいた」
「はいはい、ご飯にしましょうね」
 幽香はメディスンを連れて食堂に向かおうとした。
 しかし、その足が止まった。彼女の知覚が招かざる客の接近を告げていた。
「どうしたの?」
 メディスンが見上げてくるのを、幽香は頭を撫でることで答えとした。
「お客様のようね」
 玄関の扉がノックされた。一度、二度、三度。それから荘重に開いた。
「失礼します」
 現れたのは十六夜咲夜だった。
「いらっしゃい」
 幽香とメディスンの姿を見たこのメイドは、どこかホッとしたような表情を見せた。
 当然か、と幽香は思った。そう考えるだけの理由があった。
「何年ぶりかしら、貴方に会うのは?」
「何年ぶりでしょうか。なにぶん、よく寝ていたもので」
 これがすべてだった。幽香は咲夜の「事情」を完全に理解していた。彼女は時を止めるメイドである。いわば時を渡る巫女とも称されるべき存在である。彼女はやってきたのだ。「あの頃の幻想郷」から。
「知りたいでしょうね」
 メディスンの頭を撫でながら、幽香は答えた。
「とりあえず、紅茶でも飲みながら話しましょうか?」
 それから十数分ほどの時をおいて、幽香、メディスン、咲夜の三人は食卓を囲んでいる。テーブルの上には暖かい紅茶。いかに時を経ていようと、咲夜の技術は衰えを見せていなかった。
「まず、初めに言っておくわね」
 幽香は言った。
「幻想郷は残っている。これは確か。結界も生きている」
「左様でしたか」
 それにしては、と咲夜が言った。
「少々、様変わりというか衣替えというか、変わりましたね」
「貴方はいつから自分の時を止めていたのかしら?」
「ご存知でしたか」
「貴方のご主人様から聞いたからね」
「お嬢様は……お嬢様のことをご存知ですか?」
 咲夜がやや前のめりになった。
 仕方のない話であった。幽香が知覚している限り、咲夜はすでに長い間敬愛する主に会っていないはずなのだ。
「私が知っているのは数百年前の彼女よ」
「数百年?」
 幽香は残酷な現実を告げる役目に興奮を覚えていた。
 自分は何も知らない相手にとてつもない事実を伝えるのが好きなのだな、とも思っていた。
「貴方がその機能を止めてから、ここでは数百年の時が流れたわ。博麗霊夢も霧雨魔理沙もすでにこの世にない。山の神々も仙人たちもどこかへ行ってしまった。いや、どこにも行けなかったのかもしれない。貴方はあの『終焉の日』のことを覚えてる?」
 これに「覚えてる」と即答したのはメディスンだった。幽香は彼女に優しい笑みを向けた。幽香自身ももちろん覚えていることだった。
 そして、咲夜も覚えているようである。その表情に影が差した。
「覚えています」
 咲夜の明快な返答に触発されて、幽香の記憶はあの日のことに飛んだ。
 それを「終焉の日」と呼んでいるのは、あくまで生き残った者たちによる符丁のようなもので、当時は単に「終わり」だとか「終焉」だとか呼ばれていた。
 地球は絶対的な最終戦争の只中にあった。たとえ結界で守られている幻想郷といえど、その惨禍からは逃れられない。何しろ、戦争を決めたものは核兵器ではなかった。地球の天候、地象を操作する気象兵器によるものだったためだ。
 幻想郷の気候条件は激変し、熱風がすべてを砂へと変えていった。人里の人間は次々に死に絶え、天狗たちすら空を飛ぶことができなくなり、神々もまた猛烈な熱波の前に干上がっていった。不老不死を志す道士たちは、不倶戴天の敵と定めていた坊主たちと手を組んでまで異変の解決に当たったが、かかる難題を解決するには至らなかった。
 単純な気候変動だけでなく、外の世界からもたらされた細菌兵器、ウイルス兵器による大打撃があったことが、問題の解決をいっそう困難なものとしていた。
 竹林の診療所には無数の人々が並び、八意永琳もそれによく応えたが、治すそばから死に絶えていった。人間の体力はもはや限界を迎えていたのである。やがて竹林の診療所は砂漠の診療所に変ずるものと思われた。
 かかる混乱の中で、賢者たちは生き残るための術を模索した。彼女たちは持てる力と頭脳を発揮し、幻想郷を「保存」する計画を企て、これを見事に成功させた。「地球」と第されたその作戦名は、まさしく理想的な地球の環境を保全するための試みであったと言える。
 だが、地球作戦で救えるのはごくわずかであった。外の世界風に言えば核シェルター、宗教的に言えばノアの方舟であるところのこの計画は、生き残るの不要なものをすべてパージすることに意義があった。
 世界から切り離された幻想郷が、さらにその世界を切り離して後世に生き残るための楽園となる。
 そんな「若き楽園」に切り離された「老いた楽園」において、レミリア・スカーレットは十六夜咲夜の能力でもって彼女を「保存」することにした。絶大な気候の変動はいずれ必ず終わる。その後まで自らの眷属を生き残らせておくことで、後代での復活を模索したのである。
「今でも覚えています。消えていくお嬢様のあの姿を……」
 気温にして五十度さえも超える焦熱が、レミリアを無残に破壊していった。彼女が消え失せるまでの間、咲夜はそれをただ見ていることしかできなかった。許されるならば彼女に傘を差し出したかったが、他ならぬ主の命で眠りにつこうというのだ。それに逆らうわけにはいかなかった。
 一方、幽香はその様子を見ていたし、それからも「放棄された幻想郷」で暮らしていた。彼女は「生きる」妖怪であった。生命力こそが彼女の源であった。そのタフな生き方は、環境の激変さえも乗り越えた。砂漠化の後に外の世界から降り注いだ「緑の雨」によって、世界は急速に熱帯化する。幽香はその中でも花を咲かせる旅に出て、朽ちつつあったメディスンを助けた。
 熱波は文明を滅ぼしたが、人類もまた生き延びていた。幻想郷の人間もまた同じで、彼らはさらに原始的な生活に回帰しながらも、自然の恵みの中でたくましく生きていたのである。
 幽香がそうしたことを語り終えた時、咲夜は――涙を流した。
「私たちの繁栄は永遠のものだと思っていました」
「誰もがそうよ。自分たちの覇権はずっと続くと思っている。ある日、それが壊れて、崩れて、それでも信じる心を捨てられなくて。気づいたころには手遅れになっている」
「お嬢様は死んでしまわれたのでしょうか」
「しっかりなさい」
 幽香は強い口調で言った。
「従者である貴方が主の生存を信じないでどうするの」
 それから、「みんな結構しぶといものよ」と言葉を重ねた。
「特に、幻想郷に来るような輩はね」
「しかし、博麗霊夢や霧雨魔理沙は死んだとおっしゃいました」
「人間は仕方ないわ。寿命だもの」
 もっとも、幽香はあのかしましい娘たちが完全に死に絶えたと思っていなかった。人間は連続性のある生き物である。どのような環境でもしぶとく遺伝子を次代に繋いでいく。原始の姿に戻りながらも生き残っている人間たちがその証左だった。
 ただし、一方ではこうも考えている。消えていくものは消えていくものだ。もしも、時代の流れの中で風化していくものがあるとすれば、それはもはや流れに逆らえぬ古きものなのだ。
 そして、幽香は自らを消えゆくものであると自認している。
「お嬢様、妹様、パチュリー様、美鈴……」
 咲夜は自らの前から消えていったものの名を呼んでいる。彼女は時の流れの中に砂粒となって消えていったものたちを見つけることができるだろうか。
 コン、コン、とノックの音。
「誰かしら?」
 メディスンが言った。
 貴方がこれから栄えるものであることを知っている何者かよ、と幽香は思った。
「過去よ」
 そうだ。過去が私たちを迎えに来たのだ。
 幽香の心の中に、どす黒い何かが渦巻いた。
 今、扉がゆっくりと開いていく……。

-東方, 風見幽香

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