東方 風見幽香

発火点

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 風見幽香の居宅を博麗霊夢が尋ねてきた。博麗の巫女の表情は険しい。人間に仇なす妖怪に対する姿勢が、形をとって現れたようだった。
「あんた、何したの?」
 家に迎え入れた幽香に、霊夢はそう言葉を投げかけた。
「何でもするわ。私の思う通りにね」
 幽香は温かい紅茶を注ぎながら答えた。季節は秋である。紅茶を楽しむにはもってこいの日和であった。
 だが、霊夢はそれに懐柔されてなるものかとばかり、冷えた視線を投げかけてくる。
「人里で、狂ったやつがいる」
「コミュニティにはいつだって逸脱者がいるものよ」
「狂った原因はあんたよ!」
 霊夢に指を突きつけられたが、幽香は素知らぬ顔で紅茶を飲んだ。私に悪いところがあれば、遠慮なく指弾するがいい。そう言わんばかりの態度だったし、実際、彼女は自分がしたことに一点の曇りもなかった。
「まあ……」
 幽香はティーカップを置いた。
「誰々のせいでっていうのは、言ったもん勝ちだからね」
「心当たりはあるということで良いのかしら」
「もちろん。私だってバカじゃない」
 霊夢の視線が一層厳しくなる。幽香は自分が何をしたかを完璧に理解していた。それと同時に、博麗の巫女にも理解してもらおうなどとはさらさら思わなかった。自分の考えが他者に理解されるなどと考えるのは、よっぽどの夢想家くらいなものである。ましてや妖怪と人間だ。相容れないところは各所に出てくる。
 それに、よく誤解されることだが、幽香は平和主義者だった。無益な争いは好まないのだ。もちろん、弱い者いじめは平和主義と共存できる。むしろ、平和の中で癌のように跋扈するのがいじめである。幽香は平和の中に闘争を見出す存在であるとも言えた。
 妖怪とて戦乱に巻き込まれれば飢えるのだ。人間が最も強い脅威を同じ人間の中に感じる時、妖怪たちはその影響力を必然的に減じなければならない。人間ほど好戦的な存在もいないのだ。妖怪は概して平和主義者であるとも言える。
 そんな妖怪を退治するのが役目の博麗霊夢である。いかに昔からの顔なじみである幽香とはいえ、移り気な少女を乗りこなすのは至難の業だ。
「で、何が起きたのかしら?」
 幽香は脚を組み、優雅に尋ねた。彼女は心から興味を持っていた。博麗の巫女が色を成して押しかけてくるような事態だ。人里に不穏な事態が起きていることは間違いなかった。
「さわという名前の女の子を知ってるわね」
 霊夢が言った。
「彼女が死んだ」
「へえ」
 あの子、死んだんだ。
 幽香の声にはそういう驚きが乗っていた。驚きというよりは、予感の的中というべき感情かもしれなかった。それが霊夢の気を荒くするとわかっていても、飛び出る言葉と仕草を押しとどめるには至らなかった。
「知ってた?」
「いいえ、死んだのは知らなかった」
「さわは知ってるのよね」
「ええ、知ってますわ」
 紅茶を再度飲みつつ、幽香は答えた。ここまで紅茶を飲んでいるのは幽香だけで、霊夢は手を付けていない。ただただ非道の妖怪と思しき風見幽香を睨みつけ、言葉を重ねていっている。
 霊夢に嫌われたくはないんだけどな、と幽香は考えていた。
 しかし、彼女を手玉に取ることの快感もまた感じていた。
「さわは孤児だった。父親の顔を知らず、母親は病を得て死んだ」
「梅毒だったって聞いたけど」
「そんなことはどうだっていい」
「淫売の娘」
 幽香は決然とした口調で言った。
「あの子はそう呼ばれていたらしいわね。周りからも。彼女を引き取った蕎麦屋の旦那からも」
「そうよ……」
 霊夢は自分の秘密を暴かれるような顔で、苦渋に満ちた同意を返してきた。その表情がまた美しかったので、幽香はいよいよ彼女を攻め立てたくなった。
「親戚さえも存在しない女の子を引き取るなんて、蕎麦屋の旦那、嘉三は実に粋だったらしいけれど、その実体は地獄も地獄。何しろ新しい父親とも言うべき嘉三に、性的暴行を受けていたっていうんだから」
「最低の男ね」
「その通り。恩があるが、恨みもある。さわは苦しんでいた。その末に死のうとした。……彼女は、私に殺されに来たわ」
 まだ十歳を過ぎたぐらいの女の子が、人間が最も恐れるべき大妖怪のもとを訪れたのは一ヶ月ほど前のことである。彼女は包丁を幽香に手渡し、こう述べたのだ。
 どうか、私を食べてください。
 そんな願いを聞き入れる幽香ではない。人倫にもとるからではなく、誰かの思い通りになるのが嫌いだったからだ。この後先を考えない行動を起こした娘、さわは一体何を考えているのか。それを知るために、彼女の頑なな心を溶かし、ようやくにも身の上話を聞くことになった。
 本件に関して、幽香の感想は特になかった。腕力で勝る小児性愛の男が、あらゆる面で劣る女児を姦淫した。ただ、それだけの話である。
 だが、さわが自分の体を「汚いもの」として捉え、妖怪に食べられることで清き死を迎えたいと思った経緯には関心があった。なるほど、死ぬほど苦しい人生よりは、いっそさっぱり死んでしまった方がどれだけ楽か知れないだろう。
 ここからが問題だ。
 人間はいくつもの死を選ぶことができる。あるいは、決心した死をどうにかして実行しなければならないとも言う。
 さわが選んだのは、「妖怪に食べられること」だった。
 その理由を尋ねた幽香に、彼女は言った。
「死ぬ時くらい、誰かの役に立ちたいんです」
「あら、それなら生きていればいいじゃない。嘉三は貴方を痛めつけるだろうけど、きっと幸福だと思うわ」
「……人間は、嫌」
 だから、妖怪の役に立って死にたいのだという。
 さわは人生に絶望するとともに、人間に絶望していた。あんな奴らのために自分の命を投げ捨てられるか。それならば、人間が最も恐れる妖怪の血肉の一部となろう。
 そういう思考の果てに、風見幽香という恐るべき存在に食われることを選んだ。
 この事実にたどり着いた時、当の幽香は体が震えるような喜びを感じ、力なき存在の意地の一矢とでも言うべき行動を面白がった。
 そうだ。
 風見幽香はこう考えたのだ。
 少女は食べられたがっている。
 なら、意地でも食ってやるものか。
「その刃を向ける相手が間違っているわね」
 幽香はそう述べた。どういう効果があるのか、どういう結末を迎えるのか、そんな打算が一切ない、本心からの言葉だった。
 それ以上は何も言わずに見つめるだけの幽香に対して、さわは初め驚いたような表情を見せていたが、やがて何かを心に決めたかのように包丁を抱きしめ、こくりと頷いた。
 自分の喉に突き立てるかしらね、と幽香は考えてもいた。
 しかし、さわは自死を選ばず、何度も何度も頭を下げて、幽香のもとから去っていった。
「ねえ。どういう風にして死んだ?」
 幽香は興味を抱いた。あの細腕は未来を切り開けたのだろうか。
「さわは……抱かれている時に、嘉三の陰茎を切り落とした」
「わお」
「嘉三は逆上し、さわの首を絞めて殺した」
「蕎麦を打つ手を殺人に使うなんて無粋だこと」
 霊夢が幽香を睨んだ。
「あんたのせいで、女の子が死んだのよ」
「あら、甲斐甲斐しいものじゃない。一人のロリコンの陰部を切り落としたことで、自分と同じ目に遭うかもしれない誰かを救ったのよ。勲章ものだわ。それで、嘉三は生きてたの?」
「一命を取り留めた」
「それは失敗ね。より良い殺し方について、レクチャーしてあげるべきだったかしら」
 にしても、と幽香は続けた。
「嘉三とかいう男もバカね。小児性愛を止められずに陰茎を失って、生き残っても狂ったままなんて。いや、狂った方が幸せなのかしら」
「違う!」
 霊夢は叫んだ。
「幽香、あんたは勘違いしてる」
「へえ?」
 私を勘違い女と言うか。それで許してあげるのは貴方くらいのものよ。
 幽香は言外にそうした思いを込めた。
「狂ったのは嘉三じゃない」
「そうなの?」
「さわには恋仲の男の子がいた。幸雄って名前の子がね」
「ませていること」
「彼はさわの異変に気づいていたけど、具体的にどういう内容だったかまでは知らなかった」
「そして、知るのが遅すぎた」
 幽香は紅茶を飲み干した。結局、霊夢は一度も口につけていない。
「鈍感は罪よね」
「自分が先に知っていれば、さわに苦しませなかった」
 霊夢は言った。
「彼は許さないって言ってる。全部明かしてくれなかったさわも、さわを犯した嘉三も、気づけなかった自分も」
「さわに入れ知恵をした私も」
「ええ。……自分だったら、嘉三を確実に殺せたって。さわを救えたって」
「いいじゃない。俺ならあいつを殺せた。そういう気概は好きよ」
「幸雄は完全におかしくなった。嘉三を殺そうとしたから、牢屋に入れられている」
 ふん、と幽香ははっきり口に出した。彼女は不満だった。
「これだから人間は。嘉三を殺そうとするのは当たり前じゃない。好いていた相手が犯され、さらには殺されたんだから」
「幸雄は頭がおかしくなったのよ。彼を止めようとする人すべてを殺そうとして。だから、閉じ込めざるを得なかった」
「それは頭や情緒がおかしくなったんじゃない。正常になったのよ。元々、人里の人間なんてものは異常で、自分たちの良い点ばかりを縛り付けるような決まりの中で暮らしている。生物としての本懐を忘れて、自分のためではない何かのために生きることを強制されている」
 指の先でティーカップを弾き、幽香は静かに息を吐いた。
 それから、ゆっくりと尋ねるのだ。
 霊夢、貴方は私がすべて悪いというのね。さわが私のもとに来たことも。とんでもない手段で義理の父親に復讐を行ったことも。嘉三がさわを犯していたことも、それどころか、さわを殺してしまったことも。そのせいで、幸雄が悲しみに満ちたことも。あまつさえ気が狂い、自分を止めようとするものすべてを傷つけるのも。
「何もかも自然の成り行きなのよ」
 幽香は霊夢をはっきりと見据えた。
「人間は自由な存在よ。その自由を奪えば、必ず堕落する。良いも悪いも全部飲み込んでしまうのが人間。まさしく幻想郷そのものよね」
「だから、自分には責任がないと?」
「責任というのは人間が作り出した概念に過ぎないわ」
 おや、と幽香は感じた。この家に近づいてくる何者かに気づいたからだ。それは走ってきているようで、息が乱れていた。
「別のお客さんも来るなんて。今日は千客万来ね」
「誰か来る……?」
 霊夢も感じたらしく、幽香から出入り口へと目を転じた。
 果たして、ドアを開けてやってきた者がある。全身に血を浴びた少年で、脇に抱えていたのは人間の生首だった。
「俺は殺した! 俺は嘉三を殺したぞ!」
 ああ、そうか。
 幽香は即座に現状を把握していた。ここに現れた少年は幸雄で、抱えられた生首は嘉三なのだ。幸雄はどうにかして牢屋を脱出し、嘉三の首を取った。返り血の多さや、それだけではない自らの傷口の数から察するに、多くの人間と交戦してきたようだ。このまま放っておいても死ぬのではないかというほどに、幸雄は痛めつけられた風に見えた。
「あとは、お前だ。風見幽香。お前の首も取って、さわに会いに行く」
 幸雄は嘉三の首を投げ捨てた。
「さわと俺は一つになるんだ!」
「まあ、初々しいこと」
 幽香は微笑んだ。
 彼女の緩やかな微笑みは、死へと誘う魔の表情である。
 幸雄が飛びかかった。テーブルを踏み台にして、さらに高く跳躍し、両手に血まみれの短刀を振りかぶった。
 霊夢は反応が遅れていた。幽香と幸雄の間に割って入ろうとしたが、その動きは二人の行動を制するには至らなかった。
 では、幽香はどうしたか。幸雄が目前に迫るまで、何もしなかった。
 それは同時に、凶刃が間近に迫った時に恐るべき速さで体術を駆使し、幸雄の両腕を切断してしまったという現実も示している。
 少年の絶叫がこだました。
「戦う者よ 失うのを恐れなさい」
 幽香はさらに少年の膝を蹴り、これを容易に骨折せしめた。
「貴方の血肉は 二度と甦らないのだから」
 さらには少年の両耳を持ち、引きちぎった。
「いずれ墓に入る それは避けられない定め」
 幽香は歌っていた。まるで幸雄に葬送曲を送るかのようだった。
「せめて綺麗に生きて 静かに棺の中で眠ろう」
 とうとう幽香の手が幸雄の鼻をもぎ取った段階で、霊夢が割り込んできた。
「やめろ!」
 霊夢の声で、幽香はようやく反撃の手を止めた。
 幸雄はもはや失禁しながら、その場に崩れ落ちてしまった。痛みはすでに限界を超えて、感覚が麻痺しているのかもしれなかった。
「正当防衛よね?」
 幽香が最高のスマイルでそう告げると、霊夢は強く歯を噛み締めたようだった。
「過剰よ、あんたのやり方は」
「殺さなかったことを褒めてほしいのよね」
「じきに死ぬ。こんなことされたら」
 幸雄は明らかに出血多量だった。とうとう横に倒れてしまい、幽香の家の床を血で染めていった。
「俺はただ、さわと一緒になりたかった……だけなのに」
 幸雄の声はか細く、今にも死んでしまいそうだった。
 もはや幽香は彼から興味をなくしていたので、心が冷え切っていくのを感じた。
「残念ね。貴方はたぶん一緒にいられない。もしかしたら、あの子は天国に行ってるかもしれないから。間違いなく地獄行きの貴方は出会えない」
「幽香!」
 霊夢が制してきたので、幽香は「はいはい」と口をつぐんだ。
 その間に、とうとう幸雄は動かなくなってしまった。彼は死出の旅へと向かったのだ。もはやその肉体が彼の意志によって動くことはありえない。
 強く目を閉じてからパッと見開き、霊夢は幽香を横目で睨んだ。
「これで三人も死んだ」
「三人で済めばいいけど」
 幽香は幸雄が他に殺している可能性を示唆しつつ、霊夢に笑みを向けた。
「これも私が悪いのかしら?」
 霊夢は何も言わなかった。
 そうだ。彼女にもわかっているのだ。さわは妖怪に助言を求めた。幸雄は妖怪に自分から斬りかかった。嘉三はそもそもが畜生に変じていた。誰が悪いわけでもない。ただ、どこからか舞い降りてきた火種が、枯れ草ばかりの原野を燎原に変えてしまった。
 幽香は、ただその中心で踊っていただけだ。強いて言うなら、降りかかる火の粉を軽く払った程度だ。
「あんた、なんでさわを食べなかったの?」
「食べてほしかったの?」
「質問に答えなさい」
 あら怖い、と幽香は返した。
「わざわざ私に食べてほしい子なんて、願い通りにしてあげる義理もなし」
「誰かが死ぬのは見たくない」
「貴方は優しいのね、霊夢」
「あんたが冷たいのよ、幽香」
 ふいに、霊夢が距離を取った。
「やっぱり、あんたは妖怪だわ」
「やっぱり、貴方は人間ね」
 そこには永遠に埋められない溝があるかのようだった。隔絶した二つの命は、互いに惹かれ合いながらも相容れないことを承知している。
 出会うことのない織姫と彦星のようなものである。
 幽香は少しだけ寂しくなった。博麗霊夢のことは嫌いではない。むしろ好感をもって迎えている。なのに、そこに横たわる壁はあまりにも高く、大きい。
 今またそれを知ってしまったのが、人間の飽くなき欲望の末路のためだというのは、重大な現実を示しているように思えてならなかった。大いなる決別も小さな出来事から始まる。今日という日がその最初の日になるのではないか。幽香にはそう感じられたのだ。
 結局、霊夢は無言で去っていった。彼女は里の人間にどのようにこの事態を伝えるのか。幽香は興味があったが、もはや彼女の手の中にボールはなかった。それをどうこうする義務も権利も、彼女は有していなかった。
 博麗霊夢が人間社会の中に帰っていく。幽香はただ遠くから眺めて、見送ることしかできないのだ。
 季節は秋。冷涼な空気が肌を打つ。やがて、厳しい冬がやって来ようとしていた。

-東方, 風見幽香

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