ルーミア 東方

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 里の門外でのことである。親の言いつけに背いて、一人の少年が抜け道から里の外に遊びに出た。壁に囲まれていない空間はとても開放的で、謎に満ちていて、空気さえおいしい気がしていた。
 彼の行く手に、とりわけ目立つ大きなキササゲの木があった。梓とも呼ばれる木だ。少年はそのことを知らなかったが、それよりよほど興味深いものを見つけた。なんと金髪に赤いリボンをつけた少女が木のそばにいるではないか。禁忌を破って外に出ているのは自分だけでないと知り、少年は嬉しくなった。
「こんにちは!」
 少女が振り返ると、これがまた絵本から出てきたような可愛さだった。
「こんにちはー」
 笑顔が弾ける。少年の心は高鳴った。
「きみも里から抜け出してきたのかい?」
「んー?」
 少女はじっと少年を見つめた。
「私は妖怪だよ?」
 あまりにも明るい声だったため、少年は最初何を言っているのか理解が追いつかなかった。
 しかし、妖怪というものが人間にとってどれだけ恐ろしい存在であるかは、両親や祖父母から何度も何度も聞かされていたため、突然に恐怖が押し寄せてきた。
「本当に妖怪なの……?」
「そうだよ!」
 屈託なく笑う少女はあまりにもまぶしく、少年にはどうしてもその言葉が信じられなかった。それでも、本人がそう申告するのだからそうなのだろう、という一種の諦めも生まれつつあった。
「僕を、食べる?」
「うーん」
 少女は少年を頭のてっぺんから爪先まで、何度も確かめるように見ていた。
「食べないなぁ」
「本当に?」
「うん、食べないよ」
 太陽のような微笑みを見せて、少女は手を合わせた。
「私はルーミア!」
 それから、きらきらと瞳を輝かせた。
「貴方の名前はなぁに?」
 妖怪なんてとんでもない。龍神様が遣わしてくれた贈り物なんじゃないだろうか。
 少年はほのかにときめきを抱きつつ、自分も名前を教えた。
 こうして、ルーミアとの秘密の付き合いが始まった。待ち合わせは決まって「出会いの梓」の下。いつも彼女が先に待っていて、少年が遅れてやってくる。彼女は何かを確かめるように上から下まで見て、疑問が解けたように遊び始める。
 もしかしたら、狐や狸が化けているんじゃないかと警戒しているのかもしれないな。
 少年はそんな風に思ったし、実際に尋ねてみたが、「秘密」ということではぐらかされてしまった。
 やがて年月が流れ、少年は青年となり、子どもしか通れないような里の外への抜け道を使うのが困難になってきた。もっとも、大人にもなれば、堂々と門から出てこれるのだ。家人には魚を獲ってくると言い置いて、週に三度はルーミアに会いに来た。約束をしている限り、彼女は必ず梓の下で待っていた。
 ルーミアが妖怪であるという確信は、もはや揺るぎないものになっていた。何しろ年月が流れても、彼女の背丈も姿形もそのままだったからだ。そして、辺りを真っ暗闇にする能力は不変だった。お互い相手のことが見えないような中で遊び合ったりもしたが、成長してからは遊びというより話し相手として扱うことの方が多くなった。
 妖怪でなければ、求婚していたかもしれない。
 青年はそう思いながらも、縁あって所帯を持つことになった。これは青年が働き者であり、また里の外からも良いものを持ち帰ってくる評判の高さもあっただろう。もっとも、良い収穫を得る理由は、ルーミアが魚がよく取れる漁場や山菜がよく採れる地域について教えてくれたからでもある。
 そうして育つにつれて、青年がルーミアに会うことも減っていった。まるで浮気をしているような気恥ずかしさもあったし、いつか「妖怪と密会して利益を得ている人間」とバレるのが怖いというのもあっただろう。
 現実には、博麗の巫女の事例を見てもわかる通り、そこまで排除されるものではないのかもしれない。ただ、彼は人里に生きる人間であり、人間の時間軸と規範の中で生活する存在である。妖怪は恐れるべきものという大前提に反している時点で、異端の道を進んでいる存在ではあった。
 青年も中年に近くなるころには、何人かの子どももできた。人里の中に定職もあったし、いよいよルーミアに会うことも季節に一度ほどになっていた。
 出会いがあれば、別れもあるさ。
 そんな理由をつけて、彼はとうとうルーミアとの関係に終止符を打つことにした。代わりといっては何だが、門の外に興味津々な子どもたちに、彼女を紹介しようと考えた。
「こんにちはー」
 ルーミアはかつてと変わらぬままの挨拶をしてくれた。青年の青春は彼女とともにあった。目をつむれば、今でもあのころの思い出が天然色でよみがえってくる。
「この子たちは?」
「ああ、僕の子どもだよ。さ、ご挨拶しなさい」
 青年の子どもたちは臆していたようだったが、親に促されて初めて挨拶をした。
「はじめまして!」
 ルーミアの笑顔が弾ける。
 なるほど、彼女は妖怪だった。青年もそれを認めざるを得なかった。笑顔一つで、こうも心を穏やかにさせてくれるのだ。まさしく人智を超えた力があった。
 最初は警戒していた子どもたちも、いつしかすっかり打ち解けていた。
「ねえねえ」
 その時、ルーミアが不意に青年に話しかけてきた。
「何だい?」
 青年はこんなにもかわいく、親しみやすい妖怪とともに時を過ごせたことを誇りに思っていた。きっと自分の子どもたちも最高の思い出になるだろうとさえ考えていた。
 次の瞬間、青年は地面に倒れ伏していた。彼の両足は、ルーミアのとてつもなく早い一撃によって刈り取られていた。
「え?」
 彼は状況を理解することができなかった。まして痛みが襲ってくるまでは、いきなり地面が起き上がって自分にぶつかってきたとさえ感じていた。
 鮮血が、彼の体を染めた。
 痛い。
 その単純な感情さえ明確に表現できず、青年はただ脂汗とともに叫びを上げるしかなかった。
「二人で良いかなあ」
 ルーミアがそういう風に言って、青年と、彼の子どもを一人、小脇に抱えた。
「どうして」
 青年がそれだけ絞り出した言葉に、ルーミアは常と変わらぬ笑顔を浮かべた。無邪気だったはずのその表情が、今や悪魔の笑みにも見えていた。
「人間はおいしいけど、食べ過ぎるといなくなっちゃうからね。だから、こうやってちゃんと待ってから食べるようにしてるんだ」
 そうか、と青年は理解してしまった。彼は繁殖のために生かされたのだった。今、このようにして成果を見せに来たことは、ルーミアにとって「どうぞ食べてください」と言わんばかりの行動だった。
 青年は自分の判断を悔いていた。ルーミアは決して頭が良いわけではない妖怪に思えていた。子どもの自分を見逃したのは優しさから来たものとばかり思っていた。だが、違うのだ。川魚を取りすぎるといなくなるように、人間を襲い過ぎてもいなくなる。彼女はそのことを本能の部分で知得していた。
 子どもだったから、大人になるまで待っていたのだ。可能なら、増えた子どもともども食う気だったのだ。そして、その時は来た。
「お姉ちゃんを返せ!」
 ルーミアに突き飛ばされながらも、なお健気に立ち上がる子どもに対して、ルーミアはそれでも笑顔を振りまいていた。攻撃性を感じさせないはずなのに、猛獣の威嚇にさえ見えた。
「里に戻ったら、みんなに伝えてね。門の外にはこんなに怖い妖怪がいるんだよって!」
 青年はまた血を流しながら思った。
 この作戦は、襲うべき人間が複数いれば効果的なのだ。
 なぜなら、妖怪は人間から恐れられることで強くなる。その存在を明確にすることができる。残された子どもたちは、間違いなく自分たちの体験を里の者に話して聞かせるだろう。ルーミアと名乗った妖怪は、人間を疑心暗鬼の闇に引きずり込む妖怪として名を高めるだろう。
 そうして、この子はますます強大になる。
 ルーミアが青年と一番上の姉を抱えて飛び上がった。やがて森の中に骨や肉を咀嚼する音がして、悲鳴が鳥の鳴き声のように響くことになったが、そこに助けに入るものは皆無だった。妖怪は人間を襲い、食らう。その原則の前には、いかなる心情も無力だった。
 気をつけなければならない。梓の読み方は「アズサ」であるが、例外的に「シ」と読むこともある。人間を拒む森では、常に何者にも死の闇が降り掛かっているのだ。

-ルーミア, 東方

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