東方 風見幽香

スパイシーワルツ

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「ぎゃー!」
 八雲紫の珍しい悲鳴が、彼女の住処にこだまする。風見幽香は嬉しくなって、さらに関節を締め上げる。
「ギブギブギブギブ!」
 ちなみに、幽香はタップをされると嬉しくなって、もっと力を入れることがある。
「ギブー!」
「何やってるんですか……」
 絶叫する主の声に驚いて現れた八雲藍が、心底から呆れたといった様子で尋ねてきた。
「何って、プロレスだけど」
 幽香は平然と答えた。幻想郷は様々な常識を放擲してきたが、その代表格とも言えるのがこの花の妖怪だ。とにかく自由である。それでいて美しくある。藍が複雑な表情をしながらも止められないのは、幽香が賓客であるからに他ならない。
 それにしても、八雲紫にサブミッションをかけるのは風見幽香くらいなものではないだろうか。
「あの、そろそろご飯ですが」
「いいわね。食べましょう食べましょう」
 幽香は技を解き、紫をぽいっと投げ捨てた。
「これじゃ、お嫁に行けないわ……」
「お嫁より先に冥土に行くから安心しなさい」
 しなを作って涙目の紫にこういうことを言い放てるのも、また幽香だけであろう。
「今日のご飯は何?」
「麻婆豆腐です」
「辛い?」
「辛くしました」
 ふうん、と幽香は言った。
 それからおもむろに振り返り、まだ悶えていた紫に再び関節技をかけた。
「あだだだだだ!」
「私が辛いの苦手なの知っててのチョイスというわけね」
「折れる! 折れる!」
「貴方、最近ちょっと体が固くなったんじゃない? ただでさえ冬眠するんだから、もう少し運動に気を使いなさいな」
「うう」
「でぶ」
「うううーっ!」
 幽香に散々に言われて、涙目の紫である。藍はいよいよ信じられないものを見る目になっているが、さすがに主人と同格の客人相手である。どうにか平静を保とうとしているようだった。
 ともあれ、ようやく食事である。
「腰がぼろぼろよ」
「食べ終わったら、もっと激しくしてあげましょうか?」
「情熱的なのは布団の上だけにしてほしい……」
 幽香と紫が、そんなことを言いながら食卓につく。すでにほかほかのご飯と麻婆豆腐の準備はできている。ご丁寧に中華スープまでついてきた。
「かなり独自のアレンジで味付けしてあります。どうぞご賞味ください」
「かしこまらなくていいのよ」
 幽香が藍に笑顔を振りまく。
「後で三人で『昼寝』する?」
「藍を巻き込まないであげてちょうだいな」
 紫が何とも言えない表情で幽香をたしなめた。これを受けた幽香は口元を隠して笑う。悪女の笑みだった。
 しかし、レンゲを持つと様相が一変する。色味的にはそこまで辛そうではない麻婆豆腐との戦いである。
「むむむ」
 幽香はじっと豆腐を見つめた。「睨んだ」といった方がこの様子には正しいかもしれない。
「むむむむむ」
 食べてもいないのに汗が出てきそうだが、この花の大妖は肌だけは透き通っていて美しいのだ。そして、汗腺など存在しないかのように、いつも涼しい顔をしている。彼女の辞書には「汗まみれ」だとか「汗みずく」だとかいう単語は存在しないに違いなかった。
 今度は紫のターンだった。彼女は一口食べておいしいと言い、二口食べて辛くておいしいと言った。料理を担当した藍はかしこまっているが、まだ悪戦苦闘している幽香の様子が気になっているようだ。
「少し辛さを抑えましょうか……」
「藍」
 九尾の狐が、スキマ妖怪にたしなめられた。
「余計なことはしなくていいの。少しくらい世の中甘いもんじゃないってことを知ってもらわなきゃいけないんだから」
「私の前では生きるも死ぬもイージーモードよ」
 幽香はそう平然を装ったが、いかにも辛いことが知覚を通してわかっていたので、鼓動が早くなるのを抑えきれなかった。もしも吊り橋効果が発動したなら、麻婆豆腐に恋をしたと勘違いしてしまいそうなほどだ。
 なぜ自分は辛いものが苦手なのだろう。幽香はたまにそういうことを考える。「辛い」は「からい」し「つらい」に通じるからかもしれない。誰だって進んで辛苦を味わいたくはないはずだ。「若い時の苦労は買ってでもしろ」という慣用句があるが、これは老いた人間の戯言か、または冗談だと思っている。苦労そのものが人を育てるのではない。成長を促す苦労とは、本人にとっては苦労でも何でもないのだ。
 然るに、幽香はこの麻婆豆腐を完全な苦労として認めていた。わざわざ越えなくても良い壁だった。どうしてこんな余計な刺激を粘膜に加えるのか理解に苦しむ、とまで思っていた。
 はむ。
 意を決して食べた。
「ひー!」
 先程までの攻勢はどこへやら。幽香は完全に辛さに悶える少女となった。そうなると元気になるのが紫で、してやったりとばかりにニヤニヤしている。
「よくやったわ、藍。がっつり辛くのリクエスト通りよ」
「もったいないお言葉……でいいんですよね?」
 どうすべきか悩んでいるのだろう。藍は冷水を差し出す準備までは万端だった。しかし、主が明らかにそれを目線で阻んでいるので、助け舟を出せない状態だった。
「もうね、こういうことをするからね」
 幽香はもごもごと口走ったが、すぐにふあぁっと声を出して再び悶えた。
「性格悪っ、悪っ!」
「貴方には負けるわ」
 紫はとうとう身をよじって笑い始めている。
「こんなに美味しいものを辛い辛いと食べれないなんて。人生の九割を損してるわね」
「十割が満足……ああ、声を出すだけで痛い!」
 幽香はとうとう水を奪うように受け取り、癒やし効果を体感した。
 ただ、辛味というものは水と合わさることでより全体に広がる効果もある。幽香の厳しい表情はいよいよ深刻なものとなり、目からは涙もこぼれた。
「もうやだぁ」
「楽しいっ。これ楽しいっ」
 紫は立ち上がって幽香の背後につき、肩を揉み始めた。つくづくスキンシップが好きな二人である。
 幽香はそうされるがままになっていた。振り払うほどでもなかったし、何より今は辛さによる大暴動を抑えるのに精一杯だった。この暴動は実に深刻で、口の中に火炎瓶が投げ込まれたのではないかと思えるほどの状況だった。
「お酒で紛らわせた方が良いかもしれませんね」
 藍が提案すると、それがいい酒がいいとすぐに答えたのは紫だった。これは幽香絡みというより、単に飲んだくれたいだけかもしれなかった。または、幽香のダメージを燃えるように強い酒でさらに増幅させたいとも考えられた。
 だが、幽香にも今は酒が必要だった。酩酊だけが彼女の味方だった。酔っ払ってしまえば、味覚がバカになる。そうやってでも進まないと、地雷原に取り残された少女のように一歩も動けない心境だった。
 酒が来た。
 藍に供されたそれを、幽香は一息で飲み干した。
「辛口じゃん!」
 紫はとうとうたまらなくなったと見えて、抱腹絶倒した。日頃の威厳も何もなく、一人の少女として友人の体たらくを笑っているようだった。
「かっらー!」
 要は八雲紫による二段構えの罠だったのである。幽香はそれにまんまと引っかかり、ふんぎゃほんぎゃと尻尾を踏まれた猫のように苦しむ羽目になった。猫と言えば、今この空間に藍の式である橙がいないことを喜びたかった。あまり知られていないが、橙は幻想郷で広い交友関係を持っている。風見幽香が麻婆豆腐で撃沈などと吹聴された日には、醜聞が大好きな天狗どもに聞き咎められ、あっという間に全土に知れ渡るに違いなかった。
「もうね、ドーンと来て、パーンよ」
 幽香はもうまともに受けた感覚を説明できなかった。かくなる上は憤懣を酒欲に変えて、この家の酒という酒を飲み干してやるつもりだった。麻婆豆腐は諦めて、漬物主体で行けばいいのだ。
「ああ、おかしい。あの風見幽香がこれなんだもんね」
 紫もまた藍から酒を注いでもらい、ぐいっと一息に飲み干した。
 げに奇っ怪な飲んべえどもの祭典の始まりである。主と友人が飲め飲めというのでは、藍も相伴するしかなくなる。飲んで食って飲んで飲んで食って飲んで、三者三様、笑顔の花を咲かせていく。
 さながら円舞曲を踊るように、少女たちは手に手に酒を繋ぎ、飯を食う。美麗華麗と言ってのけるにはあまりにも俗世じみているが、それでも日頃から超然たる対応を強いられている彼女らにすれば、一時の安らぎにはなるだろう。
 少なくとも、幽香には救われている部分があった。彼女はいつも張り詰めていた。辛いものを食べさせられるのは勘弁だが、声を出して笑い合える場がほしかった。八雲紫というのは性格が悪いが、そういう素敵なシチュエーションを用意するスペシャリストに思えた。
「ありがとうね」
 幽香は誰にも聞こえないようにつぶやいた。
「ん?」
 紫が何事かと見てきたが、これに幽香は味わい深い笑顔で返す。
「さあ、飲みましょ」
 ともあれ、宴は始まったばかりである。幽香と紫と藍。たった三人の辛みを帯びた円舞がくるりくるりといつまでも続いていく。その時間がとても心地よくて、腹の底から笑い声が出る。笑みは強者の証であり、健康に欠かせぬ滋養である。
 今、風見幽香は、紛れもなく幸せであった。

-東方, 風見幽香

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