東方 風見幽香

一撃死の美学

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 彼女は、強くなるために努力をしたことがなかった。強者ばかりの世界で生きて、時には泥を噛み、煮え湯を飲まされてきた。それも遠い、本当に気の遠くなるくらい昔のことだ。今や他に知る者もほとんどいない。
 風見幽香の名前を聞いて恐れおののかない妖怪など、幻想郷にはもはや残っていないのかもしれない。いや、ごくごく一部存在しているが、それはもはや妖怪の枠を超越した存在に限られるだろう。
 ある時のことである。彼女は親しい妖怪にこう語った。
「何百発、何千発、何万発の弾幕を食らおうと、ただ一撃で仕留めれば勝負は決する」
 これは弾幕戦の否定のようでもあった。スペルカードルールというものに、心底では納得していないのかもしれない。
 彼女は花の象徴である。花は自然であり、自然は苛烈なものである。生き死にが平時からそばに横たわっているからこそ、ともすれば「おままごと」のように思えるのかもしれない。
 象徴的な説話がある。
 かつて妖怪たちが月に攻め入った時のこと。次第に劣勢になった地球の妖怪たちは、恐るべき月の科学力を持った軍隊を相手に撤退戦を戦う羽目になった。撤退しながら戦うというのは大変なものだ。敵は勝ち馬に乗って意気軒昂、前へ前へと進んでくるというのに、逃げる側は負け犬のように遁走しながら、後ろへ後ろへ進みつつ攻撃をいなさなければならない。
 それでいて、潰走すれば目も当てられない。勝ちに酔った敵に惨殺される。戦闘において考えうる最悪の状況だ。
 まさしく、その時は潰走状態にあった。誰も彼もが我先にと逃げ出し、月の兵団の毒牙にかかっていった。
 そんな時である。風見幽香が別の戦場から駆けつけてきた。返り血を大量に浴び、自らもまた傷ついていたというのに、撤退してくる味方とは逆の方向に悠然と歩き、ついに敵と接触する場面が到来する。
「どけ、死肉を貪る兎ども」
 確かにそう言っていたようだったというのは、当時この哀れな潰走劇の中にいた妖怪の談である。
 彼女は拳を振り上げ、それを大地に対して直角に打ち下ろした。とてもゆっくりとした、それでいていつもより何倍も鬼気迫る動き。
 地が裂ける、陥没する、隆起する。
 勢いに乗って突撃してきていた月の兎たちは、泡を食って逃げ出す羽目になった。突然の大地の怒りに飲み込まれたものも少なくなかったろう。
 次に、衝撃波が起きた。敵味方の別なく襲いかかったそれは、たちまちに両軍の腹と背中をしたたかに打った。
 ゆっくりと、本当にゆっくりと拳を振り下ろした姿勢を解いた幽香は、見る者すべてを見下す目でもってこう語っていた。
 来るなら、殺す――。
 押し寄せる月面の兵たちは止まった。止まらざるを得なかったのだ。そこには悪神がそびえ立っていた。近づけば容赦なく暴力の嵐を巻き起こす、穢土の尖兵がいるのだ。とても追撃を行えたものではない。この時、月軍の主戦力がまだ未到達だったのも幸いしたと言えるだろうか。
 たった一人で敵を押しとどめた幽香は、それから悠然と踵を返して去っていった。
 この事実から類推できること?
 そうだ。簡単な結論だ。風見幽香を敵に回してはいけない。たとえ本気でも稚気でも、彼女が本気になったからには間違いなく次の日を迎えることはできないだろう。
 本人は語る。私は弱い者いじめが好きなのだと。
 だが、それは彼女の本質を覆い隠す嘘に過ぎない。強者と戦ってなお強くなる。戦士としての顔が彼女にはある。そして、それこそが風見幽香という大妖怪を語るに不可欠な要素なのだ。
 最近の彼女は自分の縄張りにこもって、滅多に外に出ていくことはない。これは幻想郷の者たちにとって朗報でもあり、ある一面では悲報でもある。
 彼女が出てこないということは、平穏が保たれるということだ。
 彼女が出てこないということは、強者の出現を待っているということだ。
 これら二つの事実は決して矛盾するものではない。樽に詰めた酒が熟成していくのを待つようにじっくりと待ち続けている。芳醇な香りを嗅ぐためなら、そう、血反吐を避け得ぬような至上の闘争を味わえるのなら、彼女は何年も、何十年も、何百年も待ち続ける。
 たとえこの世界が滅んだとしても、彼女は因果が巡る限りそこに居続けるだろう。
 自身の頭を打ち割る一撃を、世界を根本から破壊する一撃を、秘めたる想いとともに待ち続ける。それはさながら想い人を待ち続ける純然乙女のようである。
 花は散るをもって最上とするという。
 ならば、静かに狂い咲きを続ける幽香は、いつか散る時を心待ちにしているのだろうか。
 己の美学に生きる彼女は、今日も花摘みを待ち続ける。

-東方, 風見幽香

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