メディスン・メランコリー 東方

誰からも好かれず、誰からも愛されず

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 誰からも好かれず、誰からも愛されない。
 それは私のことだ。メディスン・メランコリーのことだ。
 私は孤独に生まれた。きっと孤独に死ぬのだろう。生きとし生けるものは皆そうだと言う。
 しかし、私は本当に生きているのだろうか?
 一九四一年、上海。
 決してあの光景を忘れない。
「なるほどねえ」
 誰?
 私の夢に介入してくるのは……。
「夢から夢を渡っていると、面白いものに遭遇するものです。まさか人形が夢を見るとは」
「貴方は獏ね」
「ええ、そうです」
 姿が明らかになる。背景では私が見てきたあの日の光景が繰り返されているというのに。
 ドレミー・スイート。彼女の名前が私の心に浮かんで消えていった。もっとも、本当に人形の心があるかどうかは知らない。ただ、私が心として認識しているものの表面に浮かび上がって、静かに沈んでいっただけの話だ。
 そうだ。
 浮かんで、沈んだ。
 あの夜はそういう夜だった。
 そして、その後も――。
「物思いに耽ってますね」
「そうよ。悪い? ここは私の夢なの。私だけの聖域よ。貴方のような獣が土足で踏み荒らしていい場所ではないわ」
「いやはや、怒られてしまいましたね」
「困った困ったといったところかしら」
 声が増えた!
「こんばんは、メディ」
「幽香?」
 まさかのまさか、夢の中で風見幽香に出会ってしまった。
「貴方も覗き見なんて真似をするのね」
「あら、それはおかしい。覗きではないわ。こうやって堂々と見ているのだから」
 そうそう、とドレミーも同調している。
 いや、おかしいでしょう。獏であるドレミーはともかく、どうして幽香まで来ているの?
 そう尋ねたかったが、今はどうでも良かった。私は私の記憶をたどって、相当にメランコリックな気分になっているのだ。やりたければ勝手にやればいいという気持ちになっていた。捨て石とも投げやりとも言われていい。構わない。そういう気分だった。
「どうします、幽香さん? ああいう風に言われていますが」
「じゃあ、私たちも見物させてもらいましょう。懐かしい上海の夜を」
 えっ?
「幽香、上海を知っているの?」
「私を誰だと思っているの」
「風見幽香」
「そうじゃなくて」
「ボケてる場合ですか」
 ドレミーが幽香に手の甲を当てて突っ込んだ。
 何だ。
 何なんだ。
 この不可思議な展開は。
 いや、まあ、私も一因なんだけどさ。
「魔都上海……貴方のルーツがここにあったとはね」
「まるでスピルバーグの『太陽の帝国』みたいですねえ」
「ここで少女が落とした人形が貴方になるなんて、歴史は本当に数奇だこと」
 うーん!
 まるで思い出に浸れない。
「少し静かにしてくれる?」
「嫌よ」
 幽香がばっさりと断ってきた。そんなに正直に言われても困る。私は静かにしてほしいのに。でも、彼女がこうと決めたことは決して撤回しない主義だということを、私はよくよく知っていた。
「これはカウンセリングなんですよ、メディスンさん」
「カウンセリングですって?」
「誤解を恐れずに言えば、貴方は今もなお独立していない。自立できていない。存立さえあやふやなまま」
「畳み掛けてくれるじゃない……」
「幽香さんはそれを案じておられるんですよ。貴方ほどのポテンシャルがあれば、幻想郷さえあっという間に」
「ドレミー」
 幽香が横目でドレミーを睨む。
 すると、ドレミーは「失言失言」とつぶやきながら、パタつかせていた尻尾をしょぼんと下げて、口を閉じる動作をする。
 ずいぶんと仲が良い様子だ。
 いや、どうでもいい。
 私には関係のないことじゃないか。
「ああ、軍歌の足音が聞こえる」
 幽香は陶酔した表情だった。
 この恐るべき妖怪は、本当に戦争が好きなのだ。抗争を愛しているのだ。闘争に生きる意義を見出しているのだ。
 では、私はどうだろう?
 少し前までは純粋に人形解放のための戦いに身を投じる覚悟だった。
 だけど、閻魔様に説教されて、自分と人間と、それを取り巻くいろいろなものを俯瞰するようになった時、何もかもがわからなくなった気がする。
 そういう中にあって、私が見てきたこの世界は唯一の真実だ。
 わかっている。
 世界は広い。
 世界は大きい。
 ゆえに、私は誰からも顧みられることはなかった。戦火は優しい思い出とともに市街をなめ尽くし、ついに塞がることのない傷跡をつけていく。
 私は誰からも好かれない。
 私は誰からも愛されない。
 私は絶対的にこの世に不要な存在なのだ。
「メディスンの思考がぐるぐるしているようね」
「ええ、毒の放出量が目に見えて上がっています」
「スーさん、あの人たちを黙らせる方法はないかしら」
 私がそう尋ねていると、次の瞬間には幽香がすぐ私の真横にまで来ていて、そうっと耳打ちするのだ。
「戦う?」
 勝てるわけないじゃない。
 それに、幽香とは戦いたくなかった。性格が良いわけじゃない。むしろ極悪な部分が多い。けれど、彼女は私を知っている。私をわかろうとしてくれている。実際にはそこまで至っていないとしても、敵対したい相手ではない。
「ドレミー、貴方となら戦っても良さそうよ」
「戦う理由がないわ」
 私はそう反論したが、言葉尻は小さくなってしまった。幽香の狂ったような笑顔が、私の胸を射抜いたのだ。
「戦うのに理由など要らない」
 こいつらも、と幽香は続けた。
「手を取り合えば生きていける。なのに、そうしない。民族論、経済論。いろいろな理由をつけるけど、本質的なところでは同じ。戦いたいのよ。他者より強く、他者より優れて、他者より秀でている。その事実を示したい。だから、血を流す。自分の。他人の」
 幽香は私のそばから離れ、戦火の中に没しつつある上海を手で示した。
「この連中も、いずれもっと大きな炎に飲まれていく。貴方を踏みつけた者たちも、やがて巨大な力の前に圧殺される」
 ねえ、と幽香が呼びかけてきた。
「メディスン。貴方は好かれたい? 愛されたい?」
 そうか。
 夢の中だから、思考が外に漏れ出てしまうんだ。
 私はそれを理解した。
「好かれたいよ」
 なら、どんなに嘘をつこうとも無意味、どんなに飾り立てようとも無力だ。誠実に、正直に答えることにした。
「愛されたいよ」
 涙声になりそうだった。
 涙は嫌いだ。弱いから。
 そうわかっていても、あふれ出る感情を抑えることができない。あの日、上海で永遠に別れた人たち。あの人たちが私を落とさずに持っていてくれたなら、今もただの人形として毎日を暮らせていたのだろうか。
 幽香が私をじっと見てくる。
「なぜ、今は好かれて、愛されないかわかる?」
「私が毒を持った人形だから」
「違う」
 幽香が両手を広げた。
「貴方が弱いからよ」
 弱い?
 私が?
「強者が弱者に与えるものは好意ではなく、愛情でもない。ただ、哀惜と憐憫に過ぎない」
「言い切りますね」
 ドレミーの言葉に、「もちろん」と幽香は答えた。
「なぜなら、そこには絶対的な地位の隔絶があるから。圧倒的な戦力の断絶があるから。誇るべき力がないものに、好意と尊敬は注がれない。対等の立場に立って見てほしいならば、強くならなければならない」
 では、私は――。
 幽香が言うところの弱い存在である私はどうなるというのだ?
 上海の記憶から、数多くの戦場の記憶へと夢は移り変わっていく。爆炎の中で、無数の絶望を見てきた。家に帰りたいというささやかな希望さえ打ち砕かれる瞬間を、私は返り血とともに目撃してきた。
 彼らは弱い。死んでしまったのだから。そういうことなのだろうか。
「強くありたいと思うことは恥ではないわ」
 幽香は言った。見えない盃を持っているような構えが、私には神々しく思えた。
「だけど、思うだけで何もしないのは恥なだけでなく、愚か。そんなことで他人の歓心は買えない。心は、友情は、愛情は、何もせずに手に入るほど安いものではない」
「幽香」
 私は意を決した。これを言ったら、彼女の逆鱗に触れるかもしれない。それを覚悟の上だった。
「でも、貴方に友人はいるの? 恋人はいるの? 誰からか好かれ、誰からか愛される。そういう姿を、私は見たことがない」
 おお、とドレミーが感嘆の声を漏らした。よくも言ったなこの小娘ということなのだろうか。
 だが、幽香は笑わなかった。私をじっと見つめて、数秒の沈黙を保った。その時には私も大変なことをしでかしたという認識を持っていたが、すでに言葉の矢は放たれてしまった。
「いるわ」
 たった一人だけ、と幽香が言った。
「私が好かれ、愛されたいと願った人」
「誰?」
「それを聞くのは野暮よ」
 ここに来て、幽香はようやく優しい笑みを見せた。
「貴方も作りなさい。ただこの人のためになりたい。この人から好かれ、愛されたい。相愛でありたいと思う相手を」
 それなら、もういる。
 私の目の前に。
「誰からも好かれず、誰からも愛されず、それでもなお生きていこうという気概。その気迫が未来を開く。怯えて後ろへ戻るようでは、永遠に誰の心も撃ち抜けない」
 ああ、背景にキノコ雲。この妖怪にはなんて破壊が似合うのだろう。幻想郷で最も「暴虐」という言葉が似合う存在。
 なのに、私はそんな相手に惹かれている。
「過去は現在へ、現在は未来へ。歩み続ける者のためだけにある。それは永遠の楽園であっても変わらない。移り変わらない不動の世界で、貴方は何を望むのかしら?」
「私は……」
 詰まる言葉。見つけようと手を伸ばせば、今にも奈落へ落ちていきそうだ。それでも、勇気を持って一言を発する。
「私でありたい」
 贅沢な悩みですね、とドレミーが言った。
「自分が自分であるということほど、高級な悩みはない」
「でも、愛らしいと思わない?」
「ええ。夢ごと食べてしまいたいくらい」
 幽香は手を振った。ドレミーもその後に続く。二人は去っていこうとしている。背景の記憶は走馬灯のようにその速度を増していた。モノクロームの世界の中へ、愛すべき人たちが消えていく。
「じゃあね、メディスン。また明日」
「夢見るお人形さん、毎日をしっかり生きることが、良い夢を見る秘訣ですよ」
 ありがとう――。
 ただその一言を伝えるだけで、私には精一杯だった。
 考えてみれば勝手な話であって、あの人たちは他人の夢に勝手に押し入ってきて、ひとしきり説教に近い独り言を喋って帰っただけなのだ。
 なのに、救われた。
 誰からも好かれず、誰からも愛されず、それでもなお歩む者にのみ救いはやってくる。そう信じるに足る一時だった。
 歩いてみよう。
 人形の足が人間や妖怪と同じかどうかわからないけれど、やってみる価値はあるはずだ。
「スーさん、もう寝ようか」
 眠くなってきた。眠りの中で眠りに落ちるというのもおかしな話だが、それこそが「良い眠り」というやつなのかもしれない。誰もが起きた後は忘れているだけで、毎夜のようにそれを得るために悪戦苦闘しているかもしれないのだ。
 音をなくした映像がいよいよ取り留めもなく、あちこちに浮かび上がるようになってきたので、私は猫のように体を丸めて、胎児のようにすやすやと眠ることにした。どちらも人形の私には経験できようはずもない事象だ。なのに、その比喩がとてもしっくる気がした。
 おやすみなさい。
 いつか、誰かに好かれ、誰かに愛されますように。

-メディスン・メランコリー, 東方

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