東方 魂魄妖夢

善良なる人

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「ある善き人が、幻想郷にいた」
 そこまで書いて、魂魄妖夢は筆が進まなくなった。彼女なりの手習いとして物語などを綴ってみようと思ったのだが、いきなり二行目から書き継げなくなってしまったのだ。こうした創作を得手とする主、西行寺幽々子に尋ねてみようかとも考えたが、やめた。尋ねるのはよくよく自分で考えてからにしようと考えたためだ。
 冥界にもやってくる多くの先人たちに倣って、妖夢は外歩きをしてみることにした。気分の転換が面白い展開や美麗な名文を生むことは、内外の歴史が証明している。
 そもそも、列柱廊を歩き回るという思索形態は、外の世界のギリシャ哲人たちが実践している方法だった。歩くことでそれまでと違った思考が活性化し、新たな発見をもたらすのだ。
 ただ、和風建築の白玉楼に列柱廊などはないし、そもそも妖夢は思索する段階としては早すぎたし、そもそも彼女は自作の文章を片付けずに外へと出ていた。
 なので、廊下の向こうからとことこやってきた主、西行寺幽々子にそぉっと耳打ちされるのである。
「妖夢も物書きをするようになったのね」
 この時、庭師にして剣の指南役である彼女は驚きの表情を浮かべてしまった。まだまだ未熟者の証左である。
「タイトルと一行目だけだったけど、素敵よ。『善良なる人』。すごく良いと思う」
「ああああ……」
 妖夢の顔が赤らむ。耳はもっと赤くなる。血流が良くなってこうなるということは、彼女が完全な幽霊ではなく半人半霊だからということに他ならない。
「でも、どうして続きを書かないの?」
「思いつかないんです」
 至近距離で見つめる主に、妖夢はそう答えた。
「何の構想も妙案もないから、いきなり詰まっちゃって」
「なるほど」
 幽々子は妖夢の頭を撫でた。
「いいのよ。初めてのことだもの。なかなか先に進まずに痛いってことも、よくよくある話だわ」
 この人は本当に物語の話をしているのだろうか、と妖夢は思った。
 とはいえ、実際に即した話であることも事実である。ちょっくら名作の一本でも書くべかという気持ちはどこへやら。尻尾だけでも掴んでいた文章はするりと手の中から抜けていって、あとは空虚さだけが残ってしまった。
 妖夢が劣等感を覚える理由は他にもある。白玉楼には多くの幽霊が住んでいるが、その中には優れた文人も存在するのだ。彼らが水の湧くように文をしたためているのに、自分は剣を振るように筆を振るうこともできない。それが悔しい。
「みんな苦しい時代を通ってきているのよ」
 幽々子はそうした妖夢の申し立てに、ゆるやかな答えを返してきた。
「そうね、私からアドバイスすることもできる。きっと苦しむを減らす助けになると思うけど……どうする?」
 自作へのアドバイス。
 いや、妖夢の「作品」は、とても自作であると胸を張れる領域に達していなかった。何しろ書き出しでつまずいているのだ。同じ頓挫するにしても、もう少し先へ進んでいた方が格好がつくというものだ。
 それでも、身内中の身内である幽々子のアドバイスなら受け入れられる気がした。これが全くの赤の他人だったら、トラウマになってしばらくアドバイスを受けた場所に近寄れなくなる気さえした。お化けとの遭遇に近いものがある、と妖夢は感じた。自作の小説とも詩とも言い難い文章を品評されるなんて、狂気に片足を突っ込んでいる。
「あの」
「いいのいいの、答えはいいの。どっちにしたって勝手にアドバイスするつもりだから」
 これである。
 妖夢は主のある種の頑迷さを思い出した。同時に、意地悪な部分があることも想起していた。まったく食えない亡霊の姫君である。
「初めての作品とするには、大きな問題があるわね」
「問題、ですか?」
 表題とたった一行の書き出しから何を読み取ったというのだろう。
 妖夢の中に、純粋な興味が湧いてきた。
「そうよ。物語にとって一番大切なのは何だと思う?」
 何だろう。
 妖夢は混乱した。そう問われてみると、物語という基本構造にとって不可欠な何かというものがわからなくなったのだ。流麗な文章だろうか。魅力的な登場人物だろうか。はたまた別の何か。例えば、作者自身の特別な体験によるインプットだったり、住環境の改善などによる革命的な出来事だったり――。
「わかりません」
 混沌の末に、妖夢は素直に答えることにした。良い生徒ではないかもしれないが、聞き分けの心を持つことも学ぶ上では重要ではないか。そう考えることにしたのだ。
「うん、じゃあ、答えね。物語に必要なのは対立なの」
「対立ですか」
「違う言葉を使うならコンフリクトとも言うわね」
 幽々子が宙にローマ字で書いてみせた。
「どのような形でもいい。対立した構造、緊張の場面を成立させることが、わかりやすいストーリーテリングの第一歩になるの」
「わかるような、わからないような」
「例えば、私たちが起こした異変があったわね?」
「春雪異変なんて呼ばれてるみたいですね」
「あれも一つの対立よ」
 幽々子がパチンと両手を合わせた。対立構造の具現化として、そういう動きをしてみせたものらしい。
「私と妖夢はなけなしの春を集め、西行妖を開花させようと試みた。霊夢や魔理沙や咲夜にとっては、長く続く冬という異変を終わらせたい。ここに目的の対決構造が生まれているのはわかるわね?」
「ああ、確かに……!」
 両者の利害は完全に合わさってしまっている。春を溜め込むか解き放つかで、未来は大きく変わってしまうのだ。どちらも選ぶという中間の選択肢は与えられていない。
「だから、この『善良なる人』も書き出しに相克を加えればいい。『ある善良な人が幻想郷にいた。しかし、彼女は唯一憎むものがあった。それこそ即ち幻想郷そのものである』なんて感じで」
「ほおぉ……」
 妖夢は感心のため息をもらし、それから口元に手をやり、眉根にシワを寄せた。
「善人なのに幻想郷を憎んでいるんですか?」
「良い質問ね。物語を進めるのは対立の他にもう一つある。それが謎よ」
「謎、ですか」
「そう。だって、善人って言ってるのに、そんな彼女がよほど――人生を打ち捨てるくらいに激怒させるような何かが起こった。さて、それは何か? ここに大いなる謎が生まれるわよね。謎はこれまでの異変でも大きなきっかけになってる。私たちの異変にしたって、『こんなにも長く冬が終わらないのは何故か』っていうのが謎になるし」
「謎が魅力的であればあるほど、読者の興味を引きつけることができるんですね」
「本当はプロットでそのあたりを決めてから書き進めると良いんだけど、理論派じゃなくて感性派の書き方の場合、あえて何も決めずに感情の赴くままに書き連ねた方が良いこともあるわ」
「ええと」
「外の世界流に言うと、武論尊式だとかゆでたまご式だとか……」
 何故だろう、と妖夢は思った。幽々子の言葉がよくわからないのに、不思議と納得とともに胸の中に落ちていったからだ。きっと言葉以上の言霊があるのだということにして、納得を理解へと進めていく。
 立ち話も何だということで、二人はとうとう縁側に腰を下ろした。
「そういう意味では、善良という属性は物語を動かしづらいとも言えるかな」
「そうですか?」
「ええ。物語を他動的ではなく自動的に動かすためには、より俗であるか、より悪い存在である方がやりやすいのよね。物語の主人公は基本的に美少女や美男子であっても『平凡』の冠を持っていることが多いでしょう?」
「そうですね」
 昨今の外の世界では劣等生や落ちこぼれといった表現が多いらしい。
 そういう事実を貸本屋で知ってはいたが、妖夢はあえて発言しないことにした。主がこういう事情に通じていないとは思えなかったからだ。
 第一、才能にあふれているけどあえて隠しているとか、そもそも自分に才能があることに気づいていないとか、そういう「実はすごいんだぜ」展開の方が多いわけである。いやらしい書き方になるが、読者にもその可能性があると錯覚させるに足るという意味で、「共感」を得やすくなっているのだった。
「だから、いっそ属性を変えてしまっても面白い。『ある悪しき人が、幻想郷にいた』ってね。タイトルも『悪辣なる人』なんて形になるかしら」
「完全にピカレスクロマンな雰囲気になってきました」
「幻想郷は好戦的な輩は多いけど、悪人の属性は少ないからね。物語の導入としては一気に引き締まるんじゃないかと思うわ」
 幽々子が指で十の字を描いた。
「プラスの登場人物ばかりじゃ面白くない。マイナスがいないと。善人たちばかりの戯れなんて、つまらない上に肩が凝る。必要悪というものがこの世にはあるのよ。あの世にはなくてもね」
「冥界でする話じゃないですね」
「そうね」
 幽々子は笑いつつ、鬼人正邪の名を上げた。
「あの天邪鬼は、そういった点で唯一無二の存在であると言ってもいい。ぜひ善の型にはマッてほしくないわね。悪には悪の道があると貫ければ、きっと晴れやかな未来が待っているはずよ。私に関わったら全力で殺すけど」
 ああ、この人は絶対に殺るだろうなあ。
 妖夢はそのように思った。
「なんとなく見えてきた気がします。でも、さすがに悪の滅びを書くのは大変そうかな……」
「外の世界には牢獄で発狂しながら名作を、それも悪の勝利を書いた作家がいるわ」
 礼賛というべきかしら、と幽々子は言った。
「妖夢にそうなってほしいかと言われれば嫌という他ないけど、表現は無数に存在するから、萎縮せずにどんどん書いてしまいなさい」
「ありがとうございます」
「個人的には、歌にも興味を持ってほしいわね。歌はね、良いよ。心が落ち着くし、花を咲かせたくなる」
「幽々子様、まだ諦めてないんですね……」
「そりゃあもう」
 幽々子は立ち上がり、庭を抱きしめるような仕草を見せた。
「私の悲願だもの。彼岸だけに」
「その言葉遊びは拾いませんよ」
 それでも、妖夢の中には新しい決意が生まれていた。この先どうなるかはわからないが、とにかく書いてみようという決意だ。通常、その花は萎れやすく、育てるのが困難である。妖夢の花もまた、咲き続けるとは限らない。しかし、今この瞬間だけは、まだ見ぬ「了」の結びを打つために、どんな困難があろうとも乗り越えてやろうと心に決めていたのだ。
「にしても」
 幽々子が妖夢を見た。
「『善良なる人』。まさしく当意即妙といったところね」
 どういうことかわからず、妖夢が意味を尋ねる。幽々子はとても意味深げにうんうんと頷いてから、「それはね」と話し始めた。
「人の言うことを素直に聞く貴方のことよ。私とはとても相性が良いわ」
 これには妖夢も堪らず否定した。「貴方は善良な人ですね」と言われて恥ずかしがらない境地に至るには、まだまだ修行が必要らしい。
 しかし、彼女は気がついていなかった。妖夢が善良で相性が良いということは、幽々子の本性は――そこまで考えが及ばないのも、善良である所以なのかもしれない。

-東方, 魂魄妖夢

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