宇佐見菫子 東方

がらんどうの夢

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 私は眠りとともに幻想郷にやってくる。「行く」というより「帰る」という認識の方が正しいわね。あっちの世界が本当にいるべき場所って気がするもの。そういう意味では、現実って呼ぶべきこっちの世界はちょっとした悪夢。つまらない先生、つまらない授業、つまらない同級生につまらない話の数々。拷問よ。国連に訴えるべきね。
 だけど、私みたいな女子高生の叫びなんて、偉い人たちは耳に入れてくれないでしょうよ。弱者はいつだって弱者。美人じゃないと見向きもされない。あるいは命を捧げないと……。
 それが嫌だから、私は幻想郷へダイブする。あの湖の底にあるような世界はとても心地良い。故郷のように懐かしくさえ思える。
 どうしてこの楽園に生まれなかったんだろう?
 そういう風に感じてしまう。
 今日もつまらない授業の時間に、私の旅は始まる。
 ああ、そうなのだ。
 始まる「はず」だった。
 ふらりと博麗神社に現れるはずが、目の前に現れた光景は違った。自然にあふれた侘び寂びを感じる(表現間違ってないよね?)境内ではなく、灰色の空と真っ黒な地面がどこまでも続く、大昔のモノクロ映画にもないような空間が広がっていた。
 音がない。何もない。生物の気配もない。静かすぎて逆に耳が痛い気さえする。
 私は思わず振り返ったが、状況は同じだった。
 灰色と、黒。
「おやおや、なぜ人間がこんなところにいる?」
 声がした。さっきまで私が向いていた方向だ。誰もいなかったはずなのに。
 振り向くと、緑色の髪のお姉さんがいた。帽子に太陽、スカートに月の意匠が入った法服を着ている。いや、法服じゃないかもしれないけど、そう見える。
 不思議なのは彼女の足で、二本あるように見えるけれども、おばけみたいに一つにまとまっているようにも見える。
「こんなところに来るもんじゃないよ。何もないんだから」
「どういうこと? 幻想郷じゃないの?」
「ああ……今は違うな」
 私は魅魔、とそのお姉さんは名乗った。
「昔は幻想郷の住人だった。だから、今でもこの場所を漂っているのさ」
 漂っているって、まるで漂流民みたいじゃないか。私の世界では大勢の人々が戦争を避けるために漂流する道を選ぶ。物理的にも精神的にも漂流する彼らは、どこに行っても歓迎されない。その姿を自分と重ねたこともあったっけ。居場所がないのは同じだ。もちろん、物資面でも精神面でも、彼らとは比較にならないほど優遇されているのはわかっていたけど。
 でも、自分がここにいることが不自然に思える感覚は、いつまで経っても抜けなかった。
 魅魔もそうなのかしら?
「ふふ、どうかねえ」
 余裕の笑みだった。何だか手玉に取られている気がする。
 前の話に戻ろう。ここは幻想郷ではないのか。
「違うね」
 魅魔は言った。ぷかぷかと浮いている様は、やはり私たちの世界の存在ではないことを確信させる。
「ここはかつて幻想郷だった場所で、いずれまた幻想郷になる可能性のある場所さ」
「うん……?」
 するってえと、だ。
 数学的な思考が必要ね。いわゆる二次関数的な曲線を思い浮かべればいい。かつてyがプラスだったころには幻想郷だったが、やがてマイナスになって幻想郷でなくなった。これが今のこの場所の状態。曲線は再び上昇を描き、プラスの幻想郷になる。
「幻想郷にはどうやってなるの?」
 そうだ。xの要件がわからない限り、何をトリガーとして幻想郷ならざる場所が幻想郷になるのか、その逆で幻想郷であった場所が幻想郷でなくなるのか、これを理解することはできなくなる。
 私はすんなりと今の状況を受け入れている自分に驚いた。
 でも、目の前の人(妖怪?)がそう言うんだから、ここは幻想郷にして幻想郷でない場所なのだろう。その解釈をすっきり受け入れられるくらいには、私は楽園の不可思議を信じている。
「幻想郷は偏在する」
 魅魔は、どことなく寂しそうだ。
「私たちは忘れられた世界でさえ忘れられた存在になった時、この場所に、『なんでもない場所』に流れ着くんだ」
「なんでもない場所……。ええ、そうね。ここは寂しい。静かで、無機質で」
「寂しい場所なんだよ。文字通りの静寂だ。いつかここが再び幻想郷になるかもしれないし、ならないかもしれない」
「貴方は元々の幻想郷にいたの?」
「いたさ」
 だが、楽園を追放された。
 魅魔はそう続けた。
「私たち、かつての幻想郷の住民は、誰かが見ていた夢の残滓に過ぎない」
「かわいそう」
「それもまた誰かが望んだ結果さ。永遠に変わらぬ楽園からは、永遠でなくなったものがこぼれ落ちていく」
「幻想郷はもっと素敵な場所だと思ってた」
「素敵な場所さね。ただし、素敵でなくなったものから落伍する。その魂が、存在が、不適格なったらたちまちに弾かれる。すべてを受け入れるあの場所は、すべてを拒む墓標でもある。不変という呪いにかかった死の国さ。……それでも、またいつかは戻りたいねぇ。私を知っている誰かと語りたい。跳ねっ返りどもが起こした異変に挑んでみたい」
 くらり。
 私の意識が揺らいだ。
 自分の手を見てみれば、徐々に透明になっていっている。
「さあ、良い子は帰る時間だ」
「貴方はどうするの?」
「私は……待つさ。ここがまた幻想郷になる時を」
 それまでこの何もない場所で待ち続けるのか。さながら地獄の責め苦みたいじゃないの。あまりにも悲劇的すぎる。
 かといって、私にできることは何もない。
「覚えておくわ。魅魔、貴方のことを」
「魔理沙や霊夢によろしく伝えておくれ」
 知り合いなのか。
 そう問う私に、魅魔は目を伏せた。
 長い付き合いさ。
 小さく答えた声は、そんな親しい者たちとの懐旧に浸っているようにも聞こえたし、彼女たちとは遠く離れた場所に来てしまった悲しみを含んでいるようにも聞こえた。
 別れ。
 私の意識は遠ざかり、世界は暗転する。
 気づいてみれば、またつまらない授業の風景ばかり。私の稀有な旅は終わりを告げた。
 もう一眠りして、今度こそ幻想郷に行こうか?
 いや、時間もあまり残っていないし――魅魔の姿を思い起こす。真に忘れ去られた何でもない場所で、何でもない時を送り続ける彼女に、少しばかり思いを馳せるとしよう。
 そうだ。夢は終わらない。

-宇佐見菫子, 東方

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